断腸亭料理日記2024

資生堂パーラー銀座本店 その1

4504号

2月13日(火)夜

さて、今日は[資生堂パーラー]銀座本店

一年ぶり。

池波レシピ、で、ある。

10年以上前だが、NHK文化センターの「池波正太郎と
下町歩き」
で訪れてもいる。

この時、界隈のことを含めて細かく触れている。
こちら↑もご参照されたい。

先生はエッセイでもなん回も書かれている。
戦後ももちろん行かれているのだが、最初は戦前。
先生が戦争へ行く前の10代の頃。

兜町の株や(証券会社)の小僧をしていて、株で儲け、
まあ、それこそ吉原へも通い、遊び歩いていた頃。
横浜までタクシーを飛ばし、かの[ホテルニューグランド]
まで行ったり。
浅草生まれ育ちの先生に銀座はやはり華の場所であった。
今、先生が育たれた、永住町の隣町に住む私にもこの気持ちは
よくわかる。
まあ、店にもよるが上野、浅草ならスウェットで行って
しまうが、日本橋、銀座となるとさすがにそうはいかない。

ともあれ。

[資生堂パーラー]はご存知の化粧品の資生堂の一部、
で、ある。化粧品会社がレストランをやっているのは
妙に思われるかもしれぬ。

そもそも資生堂の創業は明治5年(1872年)、明治0年代で
維新後すぐ。まだまだ、世情も安定していない頃。

当時は西洋薬の調剤薬局として。この創業地が、今の
[資生堂パーラー]の場所。ちなみに当時の町名は
銀座ではなく出雲町。銀座は四丁目までで今の和光の
交差点までである。

この年といえば、太陰暦から太陽暦への改暦が最大の
できごとであろう。まさに文明開化が始まっている。

だが、この年は、ちょうど銀座大火の年。築地、京橋
含めてまる焼けになったわけだが、その後、これを
教訓に耐火性を考慮し、銀座は煉瓦街になっていく。

その後、調剤薬局資生堂は練り歯磨きの発売、そして、
明治34年(1902年)薬局店内に米国製のソーダ
ファウンテンを設置。ソーダ水やアイスクリームの
製造販売を始めた。 (資生堂

(当時のソーダファウンテンというのははっきり
わからないのだが、今だとファミレスのドリンク
バーのコーラやジュースを出す機械があるが、あれが
ソーダファウンテン用ディスペンサーと呼ぶよう。
つまり、こうした飲料を提供する設備全体、あるいは
サービスを呼ぶのか。)

薬局と飲料やアイスクリームは妙に感じるが、これは
当時、米国のドラッグストアにはこうしたものがあって、
それを創業者が移植したとのこと。
アイスクリームの販売はまさに当時ハイカラの象徴で
最先端の銀座のお洒落なものであった。
これが[資生堂パーラー]の始まりにあたる。

明治のこの界隈というといわゆる新橋芸者の街。
東京で格としては頂点であった花柳界。
明治の薩長出身の大物政治家も足繁く通った。
売れっ子であれば、今のアイドル並。
そんな街であったのもお洒落な[資生堂パーラー]の
アイスクリームと無関係ではなかったのだろう。

大正3年(1928年)[資生堂アイスクリームパーラー]
として本格開店。洋食レストラン機能が付け加わったと思われる。
そして、池波先生が通うようになる昭和初期になる。

18時、到着。

銀座は、外国人観光客であふれ返っている。
特に、今は春節で中国人が多くを占めるように見える。
経済的にはありがたいのだろうが、相変わらずマナーの
わるさは目を覆うばかり。満員の銀座線でモコモコの
足まであるダウンを着込み巨大なキャリーバックを置き、
座席を占領。

[資生堂パーラー]に着いて、名乗ってエレベーターへ
案内される。すると、たまたま中国人らしい40歳格好の男性と
一緒になる。この人はエレベーター内で大声で電話。
やんぬるかな。
日本ではエレベーター内で電話はもちろん、話しをしない
のがマナーなのだよ!。これは欧米人も然り。

あがると、下から無線で連絡がいっており、再度名乗る
までもなく、コートを預け、席へ。
内儀(かみ)さんは先にきていた。

幸い、先の男性中国人のグループ6人とテーブルは少し
離れていた。

掛けて、ビール、キリン一番搾り。

ここは小瓶で、ウィエター氏が注いでくれる。

泡の作り方が上手。堅い。

ここのサービスは一流ホテル並み。
行き届いている。

テーブルには、皿。

金の資生堂のロゴマーク入り。
これはここでは飾り皿で使うものではないもの。

皆さんもご覧になったことはあろう。どこでもこれを
しているわけではないが、調べると、サービスプレート、
あるいは、ここに料理の皿をのせる場合はアンダープレートと
いうよう。

私のここでのオーダーは、決まっている。
もちろん、クリームクロケット(コロッケ)と
チキンライス。
池波先生の真似。
クリームクロケットはクラブ(蟹)と、ミート(肉)の
二種類あるが、クラブにする。

チキンライスは2700円也、クラブクロケットは3900円也。
チキンライスもコロッケも値段も味もおそらく我が国
最高峰であろう。

内儀さんは牡蠣が食べたいというので、かきのグラタンで、
スープ、サラダ、ライスなどの付いたセット。

白髪のウェイター氏は出す順番を聞いてくれる。

内儀さんのスープがきた。

ここ伝統のオニオンスープ。
ちょっともらったが、滋味深い濃厚な味。

内儀さんのサラダもきた。

 

つづく

 


資生堂パーラー

 

 

 

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