断腸亭料理日記2022

浅草・そば・角萬

4113号

6月21日(火)第一食

少し間から食べたいと思っていた。

そばの[角萬]。

そば版、ラーメン二郎とでもいうのか。
肉南蛮、またはその冷やし。

肉そば、肉南蛮というのは、例の閉店した虎ノ門の
ラー油入りを筆頭に、今や一般的になってきていよう。
鶏ではなく、豚のもの。

ただ、ここのものは、その歴史からやはり
元祖の位置にあるのではなかろうか。

冷やし肉南蛮の季節到来、で、ある。

場所は以前は国際通り沿いの龍泉にあったが、
一度閉店今の場所に再度開店した。

浅草寺、言問通りの北。
いわゆる観音裏。
浅草花柳界の、さらに北。

現代の地図。

ゴロゴロ会館の角、柳通りを真っすぐに北上。
柳通り沿い。
言問通りから、かなり北になる。

旧町でいえば、象潟。
読める人も少ないと思うが、きさかた。

そばには浅草警察、浅草浅間神社がある。
浅間神社はいわゆる富士信仰の富士講の神社。
浅草では、お富士さんと呼ばれ、毎年、5,6月に
植木市が開かれている。
(今年は5/28、29、6/25、26)

浅草警察は、以前は象潟警察という名前であった。

象潟の由来は江戸にさかのぼる。

江戸の地図。

観音様の裏、北側。
縮尺と位置関係が随分いい加減であるが、
浅草寺があり、北に山谷堀があって、その間。
不二権現が浅間神社。
そして、六郷筑前守という名前の屋敷が見えると思う。
これは秋田出羽本荘藩の屋敷。

これが、象潟の由来。
出羽本荘藩というのは、六郷氏、二万余石、外様。
藩庁は秋田本荘城、今の由利本荘市。
今は隣のにかほ市に含まれるが、象潟町というところが
ある。以前は本荘藩内。
象潟は江戸期は砂丘によって仕切られたいわゆる潟湖で、
小島が点在し、九十九島とも呼ばれ、東の松島、西の象潟
と謳われる景勝地であった。
江戸後期、文化の頃の地震で隆起、陸地化して潟湖は消滅するが、
現代も102の小島が水田地帯に点々と残されている、と。
ウィキ

象潟はもちろん、秋田県というのは私は一度も足を
踏み入れたことがない県の一つだが、なにか機会を
見つけて見ておかねば。

象潟は芭蕉、蕪村、一茶も訪れており、江戸期には
全国に知られた名勝地。出羽本荘藩の代名詞的な
場所であったのであろう。

佐竹商店街、左衛門橋通りなど近所でも、その屋敷の
藩の名前、藩主の名前などが地名になっているところは
東京には少なくないが、六郷でも本荘でもなく名勝地の、
象潟になっていったのは、ちょいと珍しいかもしれぬ。

明治40年。

警察署の名前が浅草警察になっている。
未確認だが、浅草→象潟→浅草と変わっている
のか。

閑話休題。
[角萬]であった。

昼は14時までなので、13時すぎ、自転車で到着。
店前に5〜6人の列。
列につくが、回転は速く、10分程度で入れた。

どうであろうか、お客の八割は、頼むのではなかろうか。
「ヒヤニクダイ」。
冷やし肉なんばんそばの大盛。

だがさすがに大盛はやめて、ノーマルなヒヤニク。

きた。

なかなかな、インパクトであろう。
火が通ってクタッとなったねぎと豚の細切れ。
そして、このそば。
むろん、太さ、で、ある。
つゆは冷やしなので、少な目。

アップ。

きしめんというのか、うどんというのか。
これ、かなり腰がある。
手打ち、といっているが、この店で打っているのか。
ゴワゴワ、もぐもぐ噛み切る感じ。
小麦粉も入っているのかもしれぬが、
味はやっぱり、そば。

つゆは、下町浅草にしては、多少薄め、
ではなかろうか。
そば湯が出てはくるが、私であれば、
そのまま飲める程度。

うまい、うまい。

ご馳走様でした。
勘定は、1050円也。
そば一杯にしては、ちょい高めではある。

ご馳走様でした。


台東区浅草4-45-4
03-6802-3929

 

 

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