断腸亭料理日記2020

駒形どぜう

11月17日(火)第一食

どぜうが食いたくなった。

[駒形どぜう]。

もちろん、どぜうの季節は夏なのであるが
別段、今食べてもよいであろう。

まあ、実際のところ、夏、鍋を食べるというのは
以前からの習慣で、いわゆる旬、泥鰌のうまい季節
ということではない。

夏、暑い頃に、熱いものを食べて、元気をつける
という意味合い。

13時すぎ、出掛ける。

歩こうかと思ったが、マスクをして歩くのも
なかなかつらいので、自転車にする。

新堀通り、国際通りも越えて、浅草消防署、
バンダイの脇。
蔵前通り(江戸通り)の角、到着。

歩道、カードレール脇に自転車をとめる。

紺の暖簾に、どぜう、の、白抜き。

暖簾の後ろはドアではもちろんなく、硝子戸でもなく、
今でも、下半分は木で上半分は障子の、いわゆる腰障子。
だが、こんな時期で、こんな時期だから開けてある。

しかし、この[駒形どぜう]表の佇まい。
なにごとにも代えがたいと、改めて思う。

木造だが漆喰塗りの蔵造りであろう、二階建ての
瓦屋根。
浅草にも、老舗は数多い。
だが、建て替えても、昔と同じものを
造り直しているのはここと並木の[藪蕎麦]だけ
ではあるまいか。
江戸創業でも繁盛していれば、ほとんどは、
ビルにしてしまう。
もちろん、ここだって商売で、この姿自体が商売
であるともいえるが、それを含めて、
明確な店のメッセージである。
強烈な、アイデンティティーの表明である。

毎度書いているが、食は文化である。
文化には形、スタイルがある。
そばやにぎり鮨など食い物それ自体だけでなく、
その周りに、有形、無形の文化がある、いや、あった。
食い物それ自体が続けばそれでよい、というもの
ではないと、私は思うのである。
せいろのそばは、手繰り方も、文化なのである。
鮨やでの、客としても振る舞いも文化なのである。

文化は変わっていく。
それも一面、正論であり、真実である。
だが、以前はこうであった、これが元々の姿である
ということは、継承していかなければいけないのも
また一面、その文化の中で生まれ育った者の
義務、使命ではなかろうか。

ともあれ[駒形どぜう]、希少であり、未来永劫
続けてほしい、正に東京の重要無形食文化遺産である。

暖簾を分けて入る。

と、眼鏡に着物の小柄で若いお姐さん。
一人、というと、
アルコール消毒と検温。

下足札は時節柄なくなり、板の間に上がる。

中のお姐さんが手を挙げて、差し招く。
真ん中あたりの桜板。
最も縁側寄りの座布団、奥へ向いて座る。

火曜の1時すぎだが、むろん満席ではなく、私の
列の桜板は他に客はいない。だがそれでも
お客は入っているといってよい。

7月にきたのだが、やはりこんな時刻

座敷には私一人であった。

品書きがくる。

お酒冷(ひや)で一合と、丸鍋、と、お姐さんへ。
常温ですか、とは聞き返されない。

すぐに酒とねぎ、薬味、

丸鍋もくる。

ねぎが細長い木箱に入っているのがここのスタイルだが、
やめているのは、残念なこと。

食べ方、おわかりになりますか、とお姐さん。
必ず、これ、聞かれる。
はいはい、わかってますよ。

ねぎを山盛り。

季節もあるのか冷たいのか、温まるまでしばらく
時間が掛かる。

ん?!。
これ、焜炉(こんろ)が木の箱の中で斜めになっている。
それで、鍋も斜め。(上の写真で右側が下がっている。)

どうなるかというと、つゆが右にたまるのである。

直そうかと思ったが、ひっくり返しそう。
いや、これはこれでいいか。
右側をのどぜうをよけて、ここのつゆにねぎを移して
煮ればよいか。

取って、食べる。

毎度書いているが、この甘辛のつゆで煮たねぎが
とにかくうまい。どぜうを食べにきたのか、ねぎを
食べにきたのか。
この皿のねぎ、食べ切ってしまった。

いつもは鍋をお替りするのだが、今日はやめておこう。

うまかった、うまかった。

季節問わず、駒形どぜうは、うまい。

ご馳走様でした。

 


駒形どぜう

 

 

断腸亭料理日記トップ | 2004リスト1 | 2004リスト2 | 2004リスト3 | 2004リスト4 |2004 リスト5|

2004 リスト6 |2004 リスト7 | 2004 リスト8 | 2004 リスト9 |2004 リスト10 |

2004 リスト11 | 2004 リスト12 |2005 リスト13 |2005 リスト14 | 2005 リスト15

2005 リスト16 | 2005 リスト17 |2005 リスト18 | 2005 リスト19 | 2005 リスト20 |

2005 リスト21 | 2006 1月 | 2006 2月| 2006 3月 | 2006 4月| 2006 5月| 2006 6月

2006 7月 | 2006 8月 | 2006 9月 | 2006 10月 | 2006 11月 | 2006 12月

2007 1月 | 2007 2月 | 2007 3月 | 2007 4月 | 2007 5月 | 2007 6月 | 2007 7月 |

2007 8月 | 2007 9月 | 2007 10月 | 2007 11月 | 2007 12月 | 2008 1月 | 2008 2月

2008 3月 | 2008 4月 | 2008 5月 | 2008 6月 | 2008 7月 | 2008 8月 | 2008 9月

2008 10月 | 2008 11月 | 2008 12月 | 2009 1月 | 2009 2月 | 2009 3月 | 2009 4月 |

2009 5月 | 2009 6月 | 2009 7月 | 2009 8月 | 2009 9月 | 2009 10月 | 2009 11月 | 2009 12月 |

2010 1月 | 2010 2月 | 2010 3月 | 2010 4月 | 2010 5月 | 2010 6月 | 2010 7月 |

2010 8月 | 2010 9月 | 2010 10月 | 2010 11月 | 2011 12月 | 2011 1月 | 2011 2月 |

2011 3月 | 2011 4月 | 2011 5月 | 2011 6月 | 2011 7月 | 2011 8月 | 2011 9月 |

2011 10月 | 2011 11月 | 2011 12月 | 2012 1月 | 2012 2月 | 2012 3月 | 2012 4月 |

2012 5月 | 2012 6月 | 2012 7月 | 2012 8月 | 2012 9月 | 2012 10月 | 2012 11月 |

2012 12月 | 2013 1月 | 2013 2月 | 2013 3月 | 2013 4月 | 2013 5月 | 2013 6月 |

2013 7月 | 2013 8月 | 2013 9月 | 2013 10月 | 2013 11月 | 2013 12月 | 2014 1月

2014 2月 | 2014 3月| 2014 4月| 2014 5月| 2014 6月| 2014 7月 | 2014 8月 | 2014 9月 |

2014 10月 | 2014 11月 | 2014 12月 | 2015 1月 |2015 2月 | 2015 3月 | 2015 4月 |

2015 5月 | 2015 6月 | 2015 7月 | 2015 8月 | 2015 9月 | 2015 10月 | 2015 11月 |

2015 12月 | 2016 1月 | 2016 2月 | 2016 3月 | 2016 4月 | 2016 5月 | 2016 6月 |

2016 7月 | 2016 8月 | 2016 9月 | 2016 10月 | 2016 11月 | 2016 12月 | 2017 1月 |

2017 2月 | 2017 3月 | 2017 4月 | 2017 5月 | 2017 6月 | 2017 7月 | 2017 8月 | 2017 9月 |

2017 10月 | 2017 11月 | 2017 12月 | 2018 1月|2018 2月| 2018 3月|2018 4月 |

2018 5月 | 2018 6月| 2018 7月| 2018 8月| 2018 9月| 2018 10月| 2018 11月| 2018 12月|

2019 1月| 2019 2月| 2019 3月 | 2019 4月| 2019 5月 | 2019 6月 | 2019 7月| 2019 8月

2019 9月 | 2019 10月 | 2019 11月 | 2019 12月 | 2020 1月 | 2020 2月 | 2020 3月 |

2020 4月 | 2020 5月 | 2020 6月 | 2020 7月 | 2020 8月 | 2020 9月 | 2020 10月 | 2020 11月

BACK | NEXT

(C)DANCHOUTEI 2020