断腸亭料理日記2020

上野・とんかつ・蓬莱屋

さて。

今日は、上野のとんかつ[蓬莱屋]、で、ある。

先日の[ぽん多本家][井泉本店]

と三軒で上野とんかつ御三家などと呼ばれている。
しかし、私が行く頻度では三軒ではもっとも低いかもしれぬ。

なぜかというと、ひれかつ専門であるということ。

とんかつやでひれかつ専門というのは、やはり
珍しいだろう。他にあるのであろうか。
私は聞いたことがないかもしれぬ。

私はとんかつやでは、ロース専門。
ヒレはまったく食べない。皆無である。
自分でもひれかつを揚げたことはないと思う。

だが、たまにはここにも行かねば。

比較をすればロースが好きというだけで、
よい店だし、むろん、ひれかつはうまい。

大正元年(1912年)創業。
新宿の[王ろじ]も古いが、大正10年(1921年)。
[ぽん多本家]は明治創業でさらに古いのだが、今も洋食や
を名乗っているので、おそらく東京に現存する
「とんかつや」の中ではここが最古ということになる
のであろう。
この、明治終わりから大正の初めが、東京で
とんかつの生まれた頃ということになる、と、考えている。
上野がとんかつ発祥の地などといわれることもあるが、
実際には[王ろじ]のように同時に東京各地で
人気メニューであった洋食やの豚のカツレツが独立、
これだけを出す店が現れ始めた。ただ、上野は少し他より数が
多かった。この[蓬莱屋]も今の松坂屋裏で、屋台で始めた、
という。

日清、日露戦争後。国力の向上、国民の生活レベルも
上がり、大正デモクラシー、月給取り(サラリーマン)
という中産階級の出現。
また、二つの戦争の経験。以前に調べたことがあるが、
当時の軍隊での人気メニューNo.1は豚のカツレツであった
という記録がある。これも、豚のカツレツが広まった
要因の一つであろう。こんなことを背景にこの時期、
とんかつやは生まれた、と考えてよいと考えている。

さて[蓬莱屋]。ここは日本映画の不朽の巨人、あの
小津安二郎監督の行き付けでもあったのも、有名である。
小津監督は明治の東京深川生まれで、亡くなったのは
昭和38年。
「東京物語」「浮草」などの主要な名作を生んだのは、戦後。
[蓬莱屋]は監督の最期の病床にとんかつを届けたというが
通ったのは、監督活躍の戦後の昭和38年までと重なって
いるのであろう。

12時少し前、自転車で到着。
白い暖簾を分けて、入る。

入ったところにカウンターと調理場。
奥に、座敷もある。

先客は二組、三人。
多少、席数は減らしているのか。

カウンターの手前角に掛ける。

ビールと、ひれかつ定食を頼む。

ここの瓶は、エビス。

お通しは、以前から変わらない。
枝豆のひたし豆。

ここ、かつの単品はないのかもしれぬ。
他の店では、ご飯と味噌汁はもらわないが、
そのままもらうことにする。

元祖、二度揚げ、などともいう。
ここも、揚げるまで、そこそこ時間がかかる。

ゆっくり、呑みながら、待つ。

きた。

濃いめの揚げ色。

アップ。

油切れもよい。

切り口は、ほんのりピンク色。

最近、とんかつやでは塩で食べてみることが多い。

だが、ここは、カウンターには塩は置いていない。
言えばもらえるのかもしれぬが、そんなことをするのは、
野暮、というものであろう。

キャベツにはソースをかけるが、ひれかつは
なにもつけずに食べてみる。

ん!。

これで、いける。

肉は見た通りしっとり、柔らか、うまみにあふれている。
なにもなしで、下味の塩胡椒の味がわかる。

意外にしっかり付いているのかもしれぬ。

ソースもかけてみるが、比べると、なし、の方が、
うまいかもしれぬ。

塩を置いていないのは、あえて、ということで
あろうか。

きっと、そうであろう。
塩をくれ、というお客もいないはずはなかろう。

食べ終わり、勘定。

ご馳走様でした。

うまかった。

今日は、ちょっと発見、で、ある。

 


蓬莱屋

台東区上野3−28−5
03−3831−5783

 

 

 

断腸亭料理日記トップ | 2004リスト1 | 2004リスト2 | 2004リスト3 | 2004リスト4 |2004 リスト5|

2004 リスト6 |2004 リスト7 | 2004 リスト8 | 2004 リスト9 |2004 リスト10 |

2004 リスト11 | 2004 リスト12 |2005 リスト13 |2005 リスト14 | 2005 リスト15

2005 リスト16 | 2005 リスト17 |2005 リスト18 | 2005 リスト19 | 2005 リスト20 |

2005 リスト21 | 2006 1月 | 2006 2月| 2006 3月 | 2006 4月| 2006 5月| 2006 6月

2006 7月 | 2006 8月 | 2006 9月 | 2006 10月 | 2006 11月 | 2006 12月

2007 1月 | 2007 2月 | 2007 3月 | 2007 4月 | 2007 5月 | 2007 6月 | 2007 7月 |

2007 8月 | 2007 9月 | 2007 10月 | 2007 11月 | 2007 12月 | 2008 1月 | 2008 2月

2008 3月 | 2008 4月 | 2008 5月 | 2008 6月 | 2008 7月 | 2008 8月 | 2008 9月

2008 10月 | 2008 11月 | 2008 12月 | 2009 1月 | 2009 2月 | 2009 3月 | 2009 4月 |

2009 5月 | 2009 6月 | 2009 7月 | 2009 8月 | 2009 9月 | 2009 10月 | 2009 11月 | 2009 12月 |

2010 1月 | 2010 2月 | 2010 3月 | 2010 4月 | 2010 5月 | 2010 6月 | 2010 7月 |

2010 8月 | 2010 9月 | 2010 10月 | 2010 11月 | 2011 12月 | 2011 1月 | 2011 2月 |

2011 3月 | 2011 4月 | 2011 5月 | 2011 6月 | 2011 7月 | 2011 8月 | 2011 9月 |

2011 10月 | 2011 11月 | 2011 12月 | 2012 1月 | 2012 2月 | 2012 3月 | 2012 4月 |

2012 5月 | 2012 6月 | 2012 7月 | 2012 8月 | 2012 9月 | 2012 10月 | 2012 11月 |

2012 12月 | 2013 1月 | 2013 2月 | 2013 3月 | 2013 4月 | 2013 5月 | 2013 6月 |

2013 7月 | 2013 8月 | 2013 9月 | 2013 10月 | 2013 11月 | 2013 12月 | 2014 1月

2014 2月 | 2014 3月| 2014 4月| 2014 5月| 2014 6月| 2014 7月 | 2014 8月 | 2014 9月 |

2014 10月 | 2014 11月 | 2014 12月 | 2015 1月 |2015 2月 | 2015 3月 | 2015 4月 |

2015 5月 | 2015 6月 | 2015 7月 | 2015 8月 | 2015 9月 | 2015 10月 | 2015 11月 |

2015 12月 | 2016 1月 | 2016 2月 | 2016 3月 | 2016 4月 | 2016 5月 | 2016 6月 |

2016 7月 | 2016 8月 | 2016 9月 | 2016 10月 | 2016 11月 | 2016 12月 | 2017 1月 |

2017 2月 | 2017 3月 | 2017 4月 | 2017 5月 | 2017 6月 | 2017 7月 | 2017 8月 | 2017 9月 |

2017 10月 | 2017 11月 | 2017 12月 | 2018 1月|2018 2月| 2018 3月|2018 4月 |

2018 5月 | 2018 6月| 2018 7月| 2018 8月| 2018 9月| 2018 10月| 2018 11月| 2018 12月|

2019 1月| 2019 2月| 2019 3月 | 2019 4月| 2019 5月 | 2019 6月 | 2019 7月| 2019 8月

2019 9月 | 2019 10月 | 2019 11月 | 2019 12月 | 2020 1月 | 2020 2月 | 2020 3月 |

2020 4月 | 2020 5月 | 2020 6月 | 2020 7月

BACK | NEXT

(C)DANCHOUTEI 2020