断腸亭料理日記2020
8月4日(火)第一食
さて。
麺類ばかりが続いて恐縮である。
実はカレーと担々麺で迷って、担々麺にした
のであった。
[はしご]という担々麺チェーン
をご存知であろうか。
先日も書いた[阿吽]
のように最近は辛味や痺れを強くしたものが
流行りであるが[はしご]は、そうでもないマイルドな
担々麺。これがクセになるうまさ。
好きなのだが、近くにはないので、わざわざ入船まで
出掛けたり、銀座など近くを通れば入ることが多かった。
昨年であったか、御徒町、春日通りと昭和通りの
交差点西側、上野方向へ数軒のところに[寿限無]
という担々麺を看板にしている店ができた。
興味を惹かれて入ってみたら、これが、メニューも
味も、器までほぼ[はしご]。うまい。
以来、なん回か入っている。
店員さんは、ほぼ中国の方のよう。
ちょいと調べてみると、
あの大崎裕史氏が書かれていた。
人形町に最初にできたようだが、ここが二軒目。
やはり[はしご]で働いていた方が始めたとのこと。
大崎氏の付随情報だが、そもそも[はしご]の担々麺は
日本の四川料理の父、陳建一氏の流れを汲む味で
あったという。辛い四川の味に馴染みがなかった頃である。
あのマイルドなうまさは、なるほど、さもありなん。
まま、そんなことなのだが、これだけでは、
一本には足らないので、毎度お馴染み、江戸の地図を
ちょいと出してみる。
考えてみたら、このあたり書いていなかった。
現代も。
御徒町、で、ある。
ちょっと広めに取ってみた。
左上、広小路の三橋(みはし)、今のアブアブの交差点。
今の多慶屋A館の位置を入れてみた。
ここは加藤出羽守屋敷。家紋が入っているので上屋敷。
加藤出羽守は、清正の加藤家ではなく、
伊予大洲藩六万石で無関係。
外様。初代といってよい加藤光泰は当初は美濃斎藤龍興に
仕えていたが、斎藤家滅亡後、織田家中、秀吉の家来となり、
出世していったようである。
明治以後、加藤家は子爵となり半分以下になったが
引き続きここに屋敷があった。
その後、御徒町公園、現御徒町台東中学校になっている。
その脇を南北に通っているのが、下谷和泉橋通。
これが今の昭和通り。道幅はもちろん今はもっと広い。
(昭和通りは大正の関東大震災後である。)
ずっと南へ行くと、秋葉原駅の先、神田川の橋が
今も和泉橋。昭和通りになるまでは、この名前で
呼ばれていたのである。
加藤屋敷北側から広小路方向は、今は春日通りだが、
江戸期にはまだない。春日通りがいつできたのか。
私には、これ長年の課題だったのである。
今回も、だいぶ調べたのだが、やはりはっきりしない。
明治40年の地図には既にあり、明治20年ぐらいには
まだない。この間、明治30年前後であることは
状況証拠でわかる。だが、これがどういうタイミングで
あったのかなどは、わからない。引き続き宿題は
残ってしまった。
さて、ここまでは前段なのである。
肝心の“御徒町”のことを書きたいのだが、紙数が
尽きてしまう。本題(?)の[寿限無]を書かねば。
御徒は、徒士(かち)。つまり徒歩の兵士。まあ、下級武士。
だが、幕府の家来なので“御”をつけ御徒、その屋敷が
集まっていたので御徒町である。
今回、ちょっと調べて新たな情報もあるので、
大切なご近所、御徒町のこと、稿を改めよう。
ということで[寿限無 担々麺・上野店]
パイコー担々麺。
1080円也。([はしご]と同じか。)
お試しで焼売を一つ、付けてくれた。
辛さ、麺の堅さなど指定できるが、
すべてノーマル。
ここの味はオリジナルがうまいのである。
やっぱりご飯が付けられるが、やめた。
アップ。
麺もスープも、パイコー([はしご]は漢字で排骨)も
小松菜がのっているのも、ねぎも、、、丼の大きさ、
柄までまったく同じではなかろうか。
[はしご]の許可を円満に得ているのか、心配に
なるくらいである。
中途半端な真似っこではなく、
いわば完コピ。
だから、格別に、うまい。
パイコーは脂がうまいし、麺も細ストレートで
心地よいのど越し。
このスープがまた、うまい。
是非とも、ご飯をもらって食べたいのだが、
この欲求は抑え、スープは飲み干す。
汗だく。
暑い時だからこそ、熱い、うまい担々麺。
満足、で、ある。
台東区上野6-1-6
03-3831-5332
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