断腸亭料理日記2019
引き続き、円生師匠の「ちきり伊勢屋」。
伝次郎が、白井左近に死を宣告されたのが7月。そこから慈善
を始めて3か月、10月になった。もう金も半ば使ってしまっている。
そこから“心を入れ替えて”遊び始める。
柳橋で芸者買い、吉原へもいく。
遊んでみれば、むろん愉しい。
だが、十二月になってくるとそろそろ、懐も怪しくなる。
田舎にある田地田畑などもみんな売ってしまう。
そして、店の土地、家などを抵当に、目一杯、金を借りる。
貸す方も、長者番付に載っている伝次郎なので、喜んで貸す。
その期限が二月晦日(みそか)とか、三月十日になっている。
これだけ使い心地のいい金はない。
一月一杯は吉原で夢のようにすごし、二月に入って、店の者には
十分に手当て(退職金)をして暇を出す。
二月十三日、家に帰ってくる。
芸者、幇間(たいこもち)大量に引き連れて、で、ある。
十三、十四はお通夜というので、やっぱりどんちゃん騒ぎ。
生きてお通夜をしたのは伊勢屋ばかり。
そして、十五日の朝になった。いよいよ臨終の日。
簾(すだれ)を出し、忌中の札を下げる。
伊勢屋の前には加賀屋という煙草問屋があった。
主は年配で、朝早く起き、食事も済ませ、店に座っている。
と、この忌中の札に気が付いた。
不審に思って、店の若い者に誰が死んだのか聞きにやらせる。
伊勢屋にくると、3〜4人の芸者が白粉(おしろい)が
はげっちょろけになっている、羽織をひっくり返して着た幇間、
こんなのがまごまごしていようという有様。
加賀屋の若い者は、店の知った顔を探すが、皆、もういない。
それでも、お店の方は、と出てきた幇間にいうと、伝次郎が
出てくる。
今日の、正九つ(正午)に私は死にます。これは私の親父の非道が
報ったもの。もうずっと前からわかっていたことですが、お宅の
ご主人にも二度ほど、遊びすぎるなとご意見をいただいて、とても
ありがたかったが、こんな有様で、お礼も申し上げられない。
よろしくお伝えくださいと、仏も申しておりました、とお伝え
ください、と。
善吉が店に戻り主人に報告する。なんだかヘンでございますね。
親戚でもない、関わり合いになるのも面倒だ、うっちゃっときな。
と近所でも相手にしない。
いよいよ時刻も迫ってくる。
湯灌(ゆかん)といって、一っ風呂、飛び込む。
経帷子(きょうかたびら)に着替え、額に三角の紙を貼る。
この経帷子も白縮緬(ちりめん)。いろいろな書体で当時名代の
書家に、南無阿弥陀仏と書いてもらったもの。一字いくらという、
たいへんなもの。有名な袋物やに誂えさせた頭陀袋(ずたぶくろ)。
早桶、お棺が用意される。このお棺がすごい。
座って入る座棺だが、黒檀(こくたん)製で銀の箍(たが)が
はまっている。黒檀は黒く、堅いことで有名。ハンコなどにもする。
ここに吉原の花魁と伝次郎の比翼紋など彫ってあり、中に布団が
敷いてある。
伝次郎が入り、幇間連中とも別れの挨拶をする。
50人ばかりの芸者が、一斉にワーッと泣く。
棺のふたを打つ。
枕団子に樒(しきみ)の花。
さすがに、陰気になってくる。
と、棺の中から、オイ、オイと声が聞こえる。
まだ、死んでいない。
伝次郎は、煙草が吸いたくなった、という。
酒屋から三つ目錐(きり)を借りてきて、穴を開ける。
が、むろん黒檀なので、そう簡単に開かない。
なんとか開けて、一服。
このお通夜というのか、家で馬鹿騒ぎをし、出棺まではもっと
ただたわいのない内容だが、長く細かく、描かれている。
なんということはないのだが、この部分、好きである。
時刻になり、出棺。
幇間50人、芸者も50人。
全員揃いの衣裳。まるでお祭りのよう。
道筋は両側黒山のような人だかり。
列の後から、汚い恰好の人々がわあわあ言いながらついてくる。
伝次郎が施しをした人々が伝え聞いてお見送りをしたいと
集まってきたのである。
明治の頃の東京の大家(たいけ)の旦那の葬列の写真というのを
見たことがあるが、それはたいへんなものである。鳶頭(かしら)などが
先導し木遣りを唄う。棺にお神輿についているような棒が付いて担ぐ。
喪服を着た近親者、親戚、店の者、取引先、近隣の者などなどで
あろう、むろん歩いて付き従うのである。長い長い列になる。
お寺は深川、ジョウコウ寺。
ジョウコウ寺は常光寺でよいのか。
常光寺は亀戸に今もある古刹といってよい。場所も江戸から変わら
ないところ。阿弥陀像が名代の曹洞宗のお寺。おそらくここであろう。
坊さんが30人、指導金の500両も納めてある。
盛大に式を挙げる。
大和尚が引導を渡す。
土葬という設定。
幇間が担いて、墓場まで、まるで神輿を担ぐように、ワッショイ、
ワッショイと揉む。
酔っているから、誰かが足を滑らせ、そこへ棺を放りだした。
「イテッ。おーいてぇ」
伝次郎どうしても死ねない。
とっくに刻限はすぎているが。
ここでまた、切れる。中休み。(中休みから30分)
仕方がないから指導金の内から五十両を借りて寺は出たが
自分の家は人手に渡っている。帰るわけにはいかない。
転々として、二月から、三、四、五、六、七、八、九。
九月も末になる頃には伝次郎、金は使い果たし、ひどい有様。
乞食同然。
ぼんやり、腕組みをして高輪の通りを品川の方へぼそぼそと
歩いている。
この“ぼそぼそ”歩くという表現が好きである。
円生師独特な使い方であろう。
と、呼び止める人がある。これが麹町で幼馴染であった福井屋
という紙問屋の倅(せがれ)の伊之助という者で、たいへんな道楽者。
伊之助は、深川のお弔いにも行ったという。
「そりゃ、ご遠方ありがとう存じまして」
「ふ、ふ。いやだね、仏さまから直に礼を言われたのは初めてだよ。」
伝次郎、今、大木戸んとこで、白井左近に会ったよ、と。
大木戸というのは高輪大木戸。大木戸は江戸の内外を分ける木戸。
高輪大木戸は東海道。四谷にも甲州街道の四谷大木戸があった。
高輪は今も跡の石垣が残っている。
つづく
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