断腸亭料理日記2019
2月5日(火)昼
かつ丼、で、ある。
かつ丼が食べたくなった。
やはりかつ丼は周期的に食べたくなる。
東京でかつ丼を食べようとなると、まずはそばや、で、ある。
いつもであれば、拙亭同町内、春日通りと左衛門橋通りの
小島町交差点の角にある、そばや元浅草[砂場]。
そばとミニかつ丼のセットがあってよく食べている。
ただ今日の昼飯はちょっと時刻が13時をすぎてしまった。
この店は、ご飯だったりカツの用意が十分でないのか、
13時をすぎると、なくなっていることがよくある。
他のそばやをあたらないといけない。
この界隈、以前はもう少しそばやがあったのだが、
やはり減っている。
また、以前のように昼夜通しで営業し、ご飯ものを含めて
いつも同じものがあるという店も、少ない。
昼夜通しでお客がくるところでなければならない、
ということであろう。
さて、ではなぜ、かつ丼はそばやなのか。
これも不思議である。
そばやでは、普通自分ではかつは揚げていないところが
ほとんどであろう。おそらく肉やから買っている。
(元浅草[砂場]のかつは自家製。)
ではかつならば、本職のとんかつやにもあってしかるべきだが、
ほとんどのとんかつやには、なぜかかつ丼はない。
謎である。
これは以前にも明治初年からの丼物を中心にした新聞記事を調べ、
これを元に考えたのだが、
結局わからなかった。
ただ、この時にも書いているが、かつ丼の元祖は
最近閉店してしまったが早稲田の[三朝庵]といわれていた。
ちょっとした偶然で生まれているようだが、大正7年。
だが、今回調べてみると、ウィキペディアには
新説が出ている。
明治30年代後半、甲府のそばや[奥村本店]であるという。
ただ、明治は45年まで、明治30年代後半というのは随分と古い。
そもそも、それであればカツレツが洋食やから独立して
とんかつやが生まれたのよりも早くなる。
私は、とんかつやが生まれてから、かつ丼が生まれた、
という順序であったと考えていたのである。
とんかつが洋食やのカツレツから独立したのが明治の終わり。
上野の[ぽん多本家]の創業が明治38年。
同じく上野の[蓬莱屋]は大正元年。
[蓬莱屋]の最初は屋台といい、[ぽん多本家]は今でも
とんかつやではなく洋食やを名乗っている。
すると、カツレツの独立は[蓬莱屋]の大正元年というのが
現存する店では最も古いと思われる。
明治30年代であればとんかつを経ないで、洋食のカツレツから
ダイレクトにかつ丼が生まれたことになるではないか。
いや、それならばそれで、新説であるがリーズナブルである。
(とんかつやにかつ丼がないことの傍証にもなるか。)
早稲田の[三朝庵]もとんかつではなく、宴会用の余った
カツレツを玉子とじにしたという。
だが、とんかつより前に、かつ丼が生まれていたのは少々驚き。
明治27年、8年が日清戦争、37年、8年が日露戦争。
この間あたりか。
カレーライスにしてもカツレツ(とんかつ)にしても
明治以降の我が国の食文化史を考えるのに、全国民に一般化したのは、
軍隊食からというのも一つであることは間違いないと考えている。
(今もカレーライスは海上自衛隊の名物であるし、カツレツは
大正15年調査の陸軍の人気メニューの1位であった。)
一方で町の洋食や、飲食店というのももちろんある。
どちらかが主ということではなく、両方相まって、
一般に広まったということだったのかもしれない。
ともかくも、かつ丼の誕生が明治30年代から大正10年前後、
さらに一般化は昭和初期とかなり幅がある、ということは
頭に置いておきたい。
そして、なぜそばやなのかも、依然未解決である。
甲府にしても、やはりそばや。
洋食やのカツレツが、ダイレクトにそばやに入り、
かつ丼になったというのには、もう少し、考証が必要
であろう。
そばやには、そばつゆがあり、これで玉子とじにし、ご飯に
載せたことは、比較的考えやすい。
ただ、順番として、同じ丼物の玉子とじである、親子丼が
先にあったはずなのである。(人形町[玉ひで]など江戸からある
軍鶏鍋やが親子丼の発祥と考えている。)
そして、もう一つ、飯はもともとそばやにはなかったはずである。
今も、例えば、浅草並木[藪蕎麦]など古いスタイルを残している
と思われるところには、ご飯ものはない。
そばやでご飯もの、特に親子丼がないとそばやでかつ丼は生まれなかった
と考えているのである。ではそれがいつ、どこで、なのか。
明治のそばや、食堂?事情を調べてみなければ。課題である。
と、いうことで、時刻がずれてもにぎわっているそばや。
先日書いたが、上野警察前の、ねぎせいろの[翁庵]。
かつ丼並、900円ちょい。意外に高い。
並ということは上もあって、これは1000円を超える。
(肉の厚みの違いか。)
並。
立派な丼。
開けると。
アップ。
かつ丼も、普通にうまいが、味噌汁が濃くてよい。
正しい、そばやのかつ丼で、ある。
ご馳走様でした。
台東区東上野3-39-8
03-3831-2660
断腸亭料理日記トップ | 2004リスト1 | 2004リスト2 | 2004リスト3 | 2004リスト4 |2004 リスト5
|
2004 リスト6
|2004
リスト7 | 2004 リスト8 | 2004 リスト9 |2004 リスト10
|
2004
リスト11 | 2004 リスト12
|2005 リスト13 |2005 リスト14 | 2005
リスト15
2005
リスト16 | 2005 リスト17 |2005 リスト18 | 2005 リスト19 | 2005 リスト20
|
2005
リスト21 | 2006 1月 | 2006 2月| 2006 3月 | 2006 4月| 2006 5月| 2006
6月
2006 7月 |
2006 8月 | 2006 9月 | 2006 10月 | 2006 11月 | 2006
12月
2007 1月 | 2007 2月 | 2007 3月 | 2007 4月 | 2007 5月 | 2007 6月 | 2007 7月 |
2007 8月 | 2007 9月 | 2007 10月 | 2007 11月 | 2007 12月 | 2008 1月 | 2008 2月
2008 3月 | 2008 4月 | 2008 5月 | 2008 6月 | 2008 7月 | 2008 8月 | 2008 9月
2008 10月 | 2008 11月 | 2008 12月 | 2009 1月 | 2009 2月 | 2009 3月 | 2009 4月 |
2009 5月 | 2009 6月 | 2009 7月 | 2009 8月 | 2009 9月 | 2009 10月 | 2009 11月 | 2009 12月 |
2010 1月 | 2010 2月 | 2010 3月 | 2010 4月 | 2010 5月 | 2010 6月 | 2010 7月 |
2010 8月 | 2010 9月 | 2010 10月 | 2010 11月 | 2011 12月 | 2011 1月 | 2011 2月 |
2011 3月 | 2011 4月 | 2011 5月 | 2011 6月 | 2011 7月 | 2011 8月 | 2011 9月 |
2011 10月 | 2011 11月 | 2011 12月 | 2012 1月 | 2012 2月 | 2012 3月 | 2012 4月 |
2012 5月 | 2012 6月 | 2012 7月 | 2012 8月 | 2012 9月 | 2012 10月 | 2012 11月 |
2012 12月 | 2013 1月 | 2013 2月 | 2013 3月 | 2013 4月 | 2013 5月 | 2013 6月 |
2013 7月 | 2013 8月 | 2013 9月 | 2013 10月 | 2013 11月 | 2013 12月 | 2014 1月
2014 2月 | 2014 3月| 2014 4月| 2014 5月| 2014 6月| 2014 7月 | 2014 8月 | 2014 9月 |
2014 10月 | 2014 11月 | 2014 12月 | 2015 1月 |2015 2月 | 2015 3月 | 2015 4月 |
2015 5月 | 2015 6月 | 2015 7月 | 2015 8月 | 2015 9月 | 2015 10月 | 2015 11月 |
2015 12月 | 2016 1月 | 2016 2月 | 2016 3月 | 2016 4月 | 2016 5月 | 2016 6月 |
2016 7月 | 2016 8月 | 2016 9月 | 2016 10月 | 2016 11月 | 2016 12月 | 2017
1月 |
2017 2月 |
2017 3月
| 2017 4月 | 2017
5月 | 2017 6月 | 2017
7月 | 2017 8月 | 2017
9月 |
2017 10月 | 2017 11月 | 2017 12月 | 2018 1月|2018 2月| 2018 3月|2018 4月 |
2018 5月 |
2018 6月|
2018 7月|
2018 8月|
2018 9月|
2018 10月|
2018 11月|
2018 12月|
(C)DANCHOUTEI 2019