断腸亭料理日記2019

須田努著「三遊亭円朝と民衆世界」その21

連休も今年は通常配信で。

さて。
引き続き、三遊亭円朝の「怪談牡丹灯籠」。

作品の解析から寛政の「通人」を経て、文化・文政期の世相「意気」
文化が生まれ、そこに寄席と江戸落語が生まれ。落語、寄席はこの
「意気」を江戸庶民が学ぶ場所であったと須田先生は定義する。

一方で、須田先生は、噺家は人気を得て「真打」となり、客がなにを
求めているかがわかるまでになると「大看板」といわれ、さらに寄席の
文化を理解していると「名人」という。円朝はこのレベルであると。

つまり、円朝は寄席の文化である「意気」を理解していた、と。
まあ、あたり前であるが。

ここでいわんとしているのは、円朝の作品や芸は、当時の寄席や
寄席の客抜きには存在しえないといこと。作品だけ取り出して
時代や客の存在を抜きにして議論することは、意味がないという
ことである。

ここまであらすじを書いていく中でもお分かりかと思うが
円朝は「怪談牡丹灯籠」で伝えたかったのは「勧善懲悪と忠義・
義理」であり、これは「文明開化に妥協」したのではなく、江戸末
の創作時から主題であった、と。
幽霊・憑依といった怪異はお客を惹きつけるためのテクニックに
すぎないと。
あからさまに忠義や義理をいうのは野暮だからである。そういう
意味では「塩原多助」は野暮であろう。そして書いたように
「塩原多助」は次第に寄席の客に受けなくなった。

私も、先に書いているがこの幕末、円朝よりも先に、
様々なメディアで「悪党」は描かれて人気を博していた。

歌舞伎では黙阿弥の「白波物」といわれる一連の作品。
「三人吉三」や「弁天小僧」などである。

また先生は講談の「天保水滸伝」を例に挙げているが、
江戸の話だが「天保六歌撰」も入れてもよいのではなかろうか。
どちらも歌舞伎にもなっている。「六歌撰」は有名な河内山宗俊と
直侍の話である。私がいつも書いている、例の「入谷そばや」。
あそこで、直侍(なおざむらい)は度重なる悪事から手が回り
ご用聞きに追われており、高飛びをしようとしている。その前に
馴染みの吉原の花魁である三千歳(みちとせ)に逢いに行くという場面。
(河内山も直侍も実話。本当の時代はもう少し前だが世相風俗は
やはり幕末といってよいだろう。)

「天保水滸伝」というのは「利根の川風〜〜」(これは後に浪曲
になったものであるが)で有名な飯岡助五郎と笹川繁蔵、博打打ち、
「悪党」同士のいわば抗争の話といってよいか。
後で書くことになるかもしれぬが、飯岡助五郎、笹川繁蔵、どちらも
幕末期に実在した博打打ちの親分。(彼らこそ文字通り「悪党」と
いってよろしかろう。ただ助五郎は取締側の手先も務める、いわゆる
二足の草鞋を履いていた。)利根川河口に近い下総香取郡
笹川河岸。江戸期、利根川の水運で発展した、今の東庄町。

近世水滸伝 国貞(三代豊国)文久2年(1862年)組定重次
(国定忠治)八代市川團十郎

あるいは講談、落語、歌舞伎になっている「梅雨小袖昔八丈
(つゆこそでむかしはちじょう)」。今も人気があるいわゆる
「髪結新三(かみゆいしんざ)」なども、私は好例と思われる。

新三は「上総無宿の入墨(いれずみ)新三」と自ら名乗っているが
入墨は、前科者である明し、前科があり人別(にんべつ)に入って
いない者。それから弥太五郎源七という親分が出てくる。

新三は髪結の得意先である大店の娘をかどわかし、慰み、強請る。
弥太五郎源七は、その新三から娘を取り返すために新三の家に
乗り込むが、あえなく新三に追い払われる。

弥太五郎源七は、長脇差を持って、新三の家に乗り込んでくる。
子分を抱え、博打もすれば、いわゆる民事介入暴力、近隣の
揉め事に首を突っ込んで、時には、奉行所・町役人の腰掛、
お調べに五人組の代理というような役割でも出たりし、
顔役として礼金をせしめていたのであろう。
江戸の街中に住んでいるヤクザの原形。(いや、していることは
ほぼヤクザであろう。当時は彼らに対してヤクザという言い方は
されておらず博打打ちである。ヤクザをヤクザと呼ぶように
なったのは、意外に新しく戦後のようである。)

新三も弥太五郎源七も江戸にいる「悪党」といってよいだろう。
(「髪結新三」も実話で実際の年代はもっと前だが、同様に人情風俗は
作られた幕末である。)

こんな例もある。
落語だが「今戸の狐」。やはり幕末、噺家が実名で登場する。
二代可楽(中橋の可楽)が師匠で菅良助(かんのりょうすけ)という
当時二つ目の噺家が出てくる、内容的にはほぼ実話といってよろしかろう。

可楽師匠は大看板でトリを取るので、寄席のあがり(売上)を
自宅で割る。これはトリを取る噺家は席亭の取り分を引いたものを預かり、
その日の出演者に分けるでのある。これを割るという。
割ったものをワリといっていい、それぞれの噺家の給金になるわけ
である。
これを寄席のはねた後、夜遅くに自宅で行うので、ジャラジャラと
いう銭金の音が近所に聞こえるのである。これを聞いた町内の
博打打ちのサンシタが、可楽師宅に強請にくる。俺っちは本職で、
芸人とはいえ素人衆が博打などをやられるとしめしがつかない。
いくらか出せというのである。妙な言いがかりだが、こんな理屈が
あったのである。

(噺は、可楽師匠はきちんとした人で、サンシタにはにべもなく
断るがサンシタは居座る。この時、弟子の良助は今戸に住んでおり
食えないので今戸焼の狐の色を塗る内職をしていた。博打では
さいころ二つでやる丁半は有名だが、三つでやるキツネというものが
素人に人気であったという。

居座ったサンシタへ対応に入った別の弟子に、サンシタは、オメエら
素人だからキツネでもやってたんだろうという。弟子は狐だったら、
師匠には内緒(噺家の内職は原則禁止である。)だが、良助のところで
できていますという。なんだ、そういうことか、じゃあ、そいつん
ところへいってみらぁ、と、サンシタは今戸の良助の家にくる。
キツネがオメエんとこでできてるって聞いてきたんだ。隠すとために
なんねえぞ。あったらいくらかまわせ、という。良助は、えー、
あるんですが、と、彩色をした今戸焼の狐を出す、という。下げは
わかりずらいので、省略。「今戸の狐」はこんな噺。)

いかにも江戸の「悪党」博打打ちの下回りであろう。江戸の町に
こんな輩(やから)がちょろちょろして、日常的に博打があり、
強請にくるというのがまかり通っていたのである。

円朝作「文七元結」の左官の長兵衛もむろん博打狂い。

まあ、この時期「悪党」およびその取り巻きが登場する作品には枚挙に
いとまがないことがわかってくる。

歌舞伎では黙阿弥作は「白波物」=盗賊などいっているが実際にはこ奴ら
「悪党」というべきである。舞台が江戸ではあるが、弁天小僧の浜松屋の
強請などは「悪党」の日常そのものといってよろしかろう。
落語「今戸の狐」しかり。

江戸でも身近に博打があり、強請りがあり、さすがにお膝元であり
殺しまでいくかいかぬか、程度はいろいろであろうが、いうところの
「悪党」の風は吹いていたといってよいと考えられる。

さらに須田先生の指摘するポイントは、すべて「勧善懲悪」で終わっている
という。歌舞伎の黙阿弥作品も、今は最後まで上演されることはほとんど
ないので忘れられているかもしれぬが、すべて御用になるか、死んでいる。

「嘉永から安政期の江戸文化に登場する悪は、野放しの“華”なのでは
なく、最後には成敗され放逐される存在なのである。」と須田先生。

やはりどうも黙阿弥の芝居ではないが、悪が“華”として
描かれることが多く、また、芝居としては次第にそこのみしか
上演されなくなり、そういう印象が残りがちではある。
しかし、当時としては、最後には悪は悪として裁かれるものとして
表現される方が多かったのは事実であろう。

 

 

 

つづく

 

 


三遊亭円朝著「『三遊亭円朝全集・42作品⇒1冊』 Kindle版」


須田努著「三遊亭円朝と民衆世界」より

 

 

 

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