断腸亭料理日記2018
鴻上尚史著「不死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に反抗したか」
(講談社現代新書)
最近読んだのだが、この本をご存知であろうか。
出版されたのは1年ほど前。
(今年「ヤングマガジン」で連載漫画化されているよう。)
話題なのかわからないが、なにかの書評で見て
読んでみた。
鴻上尚史氏といえば、なんというのか、
TVにもよく出て、柔らかいことを喋っているので、
タレントのようだが、元来は劇作家、演出家。
私などは舞台は観たこともなく、タレントの側面しかしらないので
ユニークで親しみの持てる人だなぁ、程度の印象であった。
著作を読んだのも初めて。
あの鴻上氏が「特攻隊」なんという堅いものも書くのか、という
意外性にむしろひかれて読んでみた。
内容は陸軍で9回特攻に出撃して、生き残り今は亡くなっているが
数年前まで健在で著者自身も会ってインタビューをしている。
この方のノンフィクションルポのようなものである。
新書であるが、過去の特攻隊関連の記録、著作を丹念に読まれ
書いたように本人へのインタビューも行い、かなりの力作
といってよいだろう。
だが、著者のキャラクターを反映してか内容にくらべて
かなり読みやすく書かれている。
特攻といえば海軍、それもゼロ戦という程度の知識で
陸軍にも飛行機の特攻があったことも私は知らなかった。
太平洋戦争のことはほとんどここに書いたことはない。
ただ、2015年戦後70年の夏であったか、
一度だけ書いたことがあった。
私の父のことである。
私の父は終戦時20歳で、陸軍士官学校の学生、航空の通信という
部門にいた。
士官学校を卒業すると少尉で、陸軍の通信少尉ということに
なるはずであった。通信の将校がいったいどんなことをするのか、
疑問に思って、父に聞いたこともあるが、ほぼ要領を得た答えは
聞けなかった。
鴻上氏のこの作品には、ほんの少しであるが、通信の将校が登場する。
これによれば、実際に飛行機に乗って通信に携わる、という。
戦闘機、爆撃機の乗務員は皆、兵、下士官かと思っていたのだが、
将校もたくさんいた。(まあ、そういう人は、○○隊の隊長さん、だったり
したようだが。)実際に父は配属前に終戦になったので実戦には
行っていないが、本当であればなにかの軍用機に乗って、
通信任務をしていたということなのかもしれない。
なぜ父が陸士で航空の通信を選んだのかこれもあまり明瞭な理由は
話してくれなかったが、できるだけ実戦から遠いところ、
学校に長くいられる部門だから、そんなことは聞いた記憶はある。
だが、とにもかくにも、父自身あまり思い出したくない若い頃の記憶、
ということもあったのであろう。
特攻に限らず、戦争中の飛行機の話は、真珠湾攻撃であったり、
やはり海軍の方が我々の目に触れることが多かったと思われる。
我々の子供の頃も、戦争のマンガというのはそれなりに人気があり、
私なども「紫電改のタカ」(作、ちばてつや)などが好きだった記憶がある。
男の子は、戦闘機のようなものをカッコイイと思うのである。
紫電改も海軍であるが、陸軍の飛行機といえば、隼。
まあ、それくらいの情報しかなかった。
(まあ、父は「隼」ではなく中島飛行機の「キの43」などと
番号でいっていたが。中島飛行機は今の自動車会社のスバルである。)
この著作では、陸軍の航空が舞台なのでそこそこ詳しく語られている。
今の、フィリピン、インドネシア、マレーシアなどの南方に陸軍は
地上部隊として展開していたわけであるが、これに付いて、なのか、
陸軍の航空部隊も南方の島々に飛行場を作り守備、攻撃していた、
わけである。陸軍の航空の特攻もこれら南方の島々で米艦隊に
向かっていった。
この主人公は体当たりをし見事米艦を沈めた軍神として国内では
報道されていたという。
私の父などは、もちろん知っていたことであろう。
もちろん、こんな細かい話しはしたことはなかったし、
戦闘機など子供心に興味を持って、よく父に聞いたりもしたが
やはり積極的には答えてくれなかった。
これももちろん、詳しく知っていたであろう。どんな思いであったのか。
また、話をしなかったのにはこんなこともあるかもしれぬ。
士官学校生であれば、それなりの機密情報も知っていたのかもしれない。
終戦になり、士官学校の生徒であった父は占領軍が進駐してくるのに
備えて、どこか田舎の山の中に行っていた時期があったという
話も聞いたことがあった。まあ、隠れていたということである。
戦中のことは話してはいけないという意識もあったのかもしれない。
ただでさえ父は無口な方であったし、ほぼなにも聞かずに
私が大学4年の頃、亡くなってしまった。
著作の話から、父の話が長くなってしまった。
今まであまり語られたものに接する機会のなかった、
旧陸軍の航空のことを読み、父の若かりし頃のことを少し
考えてしまったのであった。
私の父は昭和2年生まれで、健在であれば91歳。
もう生きている方も少ないであろう。
もちろん実際に戦争へ行ったそれより上の人も然り、であろう。
ただ、兵や下士官ではなく、父のように陸士や海兵を出た
将校だった人は、戦争のことは語らないという選択をした人が
多かったのかもしれない。(語る人は、この著作にもあるが、
美化するような論調であった、のかもしれぬ。)
今、考えてみると、やはりちゃんと語ってもらった方がよかった。
この著作を読んで改めて思うが、過ちは繰り返してはいけないから。
様々な意味で。
さて。
肝心のこの著作のこと。
とてもおもしろく、先に書いたように読みやすいので
是非、皆様にもお勧めしたいのだが、この著作で気になったことを
少し書いてみたい。
この著作の前半、半分以上は、陸軍の航空で9回出撃して
生き残った特攻隊員のノンフィクション小説のような体裁に
なっている。
そして、後半は海軍も含めた特攻に関する
鴻上氏の論説といってよいと思われる。
日本人論、あるいは日本社会論というような切り口にも
なっている。
特攻がなぜ行われたのか?。
戦略(戦略ともとても呼べぬものではあろうが。)、としては
追い詰められ、石油も飛行機も戦艦も爆弾もなにもかも
底が見えてきて、仕方なしに爆弾を抱えて、突っ込むことを
考えた、わけである。
なぜ、こんなことがまかり通ったのか。
いや、特攻に限らない。
終戦前1年、あるいは1年半前あたりの、国家総動員、
老若男女問わず戦争遂行体制の頃の我が国のことである。
「欲しがりません勝つまでは」
「一億玉砕」
なんという言葉がおどっていた頃のこと。
特攻はそういう文脈の中で出てきたものであろう。
つづく
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