断腸亭料理日記2018
11月19日(月)夜
月曜日。
帰り道。
だいぶ寒くなった。
鍋がよろしかろう。
ウイークデーの鍋といえば、池波レシピが好適である。
池波先生の鍋は基本シンプル。
具材一品に野菜も基本一品。
これは、その素材に集中できる、つまり味がよくわかる、
という先生のポリシーであった。またその上に
東京下町の鍋というのは、こんなものが多かった
のではないかと思っている。
ここには書き忘れたが少し前に鶏皮と大根の鍋
をやったが、これも大根と鶏皮、せいぜい油揚げでも
入れればよいので、簡単。そして、うまい。
しょうゆだけかけて食べるが、大根の味が
実によくわかる。
そうだ、今日は「蛤の湯豆腐」にしよう。
蛤が高価である、というのが難点ではあるが、
簡単でうまいのは、共通すること。
吉池に寄って、蛤2パック。
そこそこ大きなもの。
(細かい値段は忘れた。二つで1,000円は超えていたか。)
地下で豆腐二丁購入。
帰宅。
さて、池波レシピである「蛤の湯豆腐」。
新潮文庫
初版は1980年(昭和55年)。
先生はこの10年後、90年に67歳で亡くなっているので
57歳の頃のものである。
(自分も55になったが、改めて年をとったものと
思い知らされる。)
この中の「勢州桑名」という一篇。
ここでは桑名の[船津屋]という老舗旅館のことを
昭和20年台に名古屋の御園座で新国劇の演出をした
追想を交えて書かれている。
桑名というのはむろんのこと、東海道の
宿駅の一つであり、桑名十万石の城下町。
尾張の宮(熱田)から海上八里、
伊勢湾に面した主要な港であった。
時代小説の舞台としては格好のところであり、
この頃はまだ、そんな趣が残っていた
ようである。
桑名といえば、蛤。
「その手は桑名の焼き蛤」なんという地口
(ジクチ・洒落言葉)を知らない人も増えたかもしれぬが。
この[船津屋]へ泊ると夜に焼き蛤ももちろん出るが、
朝飯に蛤の湯豆腐が出たらしい。
朝飯だが、これが出ると酒を呑まずにはいられない
とも。
調べると[船津屋]というのは今もあって、
建物などは以前の面影は残っているようだが、
旅館業はもうやっておらず、結婚式場と
料亭という業態になっているようである。
さて、蛤の湯豆腐。
本当は火鉢で、燗酒なのだが、
そこまではまだ寒くはない。
ステンレスの小鍋でカセットコンロ。
水に蛤を入れ沸かす。
一度、ふたをする。
貝が開いたら、豆腐を入れる。
温まれば、OK。
まったくこれだけ。
味付けは、取り皿に塩だけをかけて豆腐と
蛤の身を食べ、つゆを飲む。
余計な調味料は一切入れない。
まったくシンプル。
これでなくては、いけない。
蛤の潮汁に豆腐が入っていると
考えればよろしい。
これで酒を呑むわけである。
蛤の潮汁、すまし汁がうまい、というのを知らない
人はおるまい。
これと酒が合って、うまいこと夥(おびただ)しい
のである。
汁で酒を呑むというのは、私も最初は妙に思ったが
これは実に、あり、なのである。
まあ、具材がまるっきりないのは寂しいが、
なにかちょいとあればよい。
かなり豪勢であるが、松茸の土瓶蒸し。
もういうことはない。
あるいは、毎度書いているがそばやの
いわゆる、ヌキ。
天のヌキ、鴨のヌキ、玉子のヌキなんというのもあった。
天は天ぷら、鴨は鴨肉、玉子は生卵。
それぞれ、天ぷらそば、鴨南蛮、月見そばの
そば抜きである。
つまり、つゆに具だけが入っているもの。
これらがとてもよい酒の肴になるわけである。
蛤が高いので、そうそうできないが、
蛤の湯豆腐で、朝、風情のある旅館で、
一杯呑みながら、なんというのは、
この上ない贅沢であろう。
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