断腸亭料理日記2018
5月13日(日)夜
さて、日曜日。
今日は内儀(かみ)さんの希望で、うなぎ。
日曜なので、必然的に私の場合は、駒形の[前川]。
予約はやはりこの店はしておいた方がよいので、
昼すぎにTELを入れておく。
予約をしておいた方がよいのか、
不要なのか、これは店によって随分と違っている。
日曜日のこの店、最近はそこまで混んでいないので
いきなり行っても入れるとは思うのだが、
扱いが違うように感じるのである。
どうせなら気分よく食べたいし、先方にも歓迎されるのであれば
TELくらいですむのであれば、した方がよろしかろう。
ここの創業は文化・文政年間という。
明確に年までは伝承されていないのであろう。
(文化文政とざっくりいっているが、文化が1804年から1818年まで。
文政が1818年から1831年で合わせて30年弱もある。)
では、東京で最も歴史のあるうなぎやはどこか。
今回、もう一度整理してみた。
どうも、次の三軒になりそうである。麻布[野田岩]、
浅草雷門通りの[やっこ]、日本橋[大江戸]。
(どのくらい裏付けがあるのかは、置いておいて。)
前の二軒はざっくり寛政年間で[大江戸]は寛政12年(1800年)という。
今の背開きで蒸して焼く江戸・東京の蒲焼が成立したのも、
この寛政あたりという。
元来は蒲焼というくらいで、植物の蒲(がま)の穂のように
丸のままあるいは、ぶつ切りにしたうなぎを串に刺して
焼き、山椒味噌をつけて食べるものであった。脂が多く
労働者向けに、露店で売られるようなものであったわけである。
それが、今の開いて串を打ち、しょうゆで甘辛に
照り焼き風に焼いたものができて、一気に広まったわけである。
実は[野田岩][やっこ][大江戸]の前に池之端[伊豆栄]がある。
吉宗の頃「町中のささやかな商い」(伊豆栄ホームページ)というので、
享保年間、1716年以降で、蒲焼成立以前かもしれぬ。
もしやすると、辻売りでもしていたのかもしれぬ。
と、いうことで最古は[伊豆栄]、次が寛政の[やっこ][野田岩]
[大江戸]ということでよろしいか。
明神下[神田川]が文化2年(1805年)で次か。
そして駒形[前川]の順番になりそうである。
江戸東京発祥の食い物というと、蒲焼、天ぷら、にぎりの鮨である。
天ぷら、鮨は、江戸創業で現存している店というのは、
かなり限られるが、比較すればうなぎ蒲焼の店は随分とある。
理由はなんであろうか。
価格ではなかろうか。
鮨でも天ぷらでも高い店もあったが、下は屋台からあった。
先のように江戸風蒲焼が成立した後は、高級品に
なっている。(600文、ざっくり5000円程度か)
やはり客単価が高い方が商売としては安定するのであろう。
さて、さて。駒形付近の江戸の地図を出してみよう。
現代も。
今の浅草通り、駒形橋もないが、雷門があって、
その前の並木通りがあり、今の江戸通り(旧蔵前通り)の位置から
大きくは変わっていないのがお分かりになろう。
(三間町なんという町名が見えるが、落語好きの方だと思い出される
方もあろうか。志ん生版の「富久」の主人公の長屋の場所。ここから
新橋まで真冬の夜、火事見舞いに走って往復する。ちなみに、文楽版は
このあたりからそんなに離れてはいないが、阿部川町で
今は拙亭近所の元浅草三丁目。)
今の隅田川は堤防で囲われているが、江戸期にはこの辺りには
土手、堤のようなものはなかった。[前川]も川に面した船着き場があり、
舟で店にそのまま付けることができたという。
(対岸の向島は桜の名所で墨堤などというように、桜を植えた堤が江戸期
からあったわけだが、向島以外、隅田川には基本は堤はなかったのである。)
閑話休題。
予約をしたからか、二階座敷の、窓側真ん中。
隅田川、吾妻橋、スカイツリーのよい眺め。
ビールをもらって、白焼き。
わさびじょうゆ。
ある程度以上の東京のうなぎやの白焼きは、
天下の美味といってよろしかろう。
白焼きをこのように食べるようになったのは、いつ頃
からなのか。
いかにも江戸前、いかにも粋。
うな重。
毎度書いているが、お重のふたを開けて、山椒をふっている
瞬間というものはなにものにも代えがたい、幸せな時間。
箸を入れ始めると、うな重というものは、もう
バクバクと、かっ込む。
そういうものであろう。
また、蒲焼の焼き具合、味付けももちろん重要ではあるが、
それと並ぶほどに、重要なのは飯の炊き具合。
折角にうまい蒲焼でも、こうしてたれの染みた飯とともに
食べるため、飯が柔らかいとやはり台無し。
天丼にしてもうな丼にしても、丼物の飯は堅めに炊き上げるのが
やっぱり江戸前。(いや、丼物でなくとも、江戸・東京人の
飯の好みは、基本堅め、で、ある。)
むろん、ここの飯も十分に堅め。
この近所だが、雷門の[色川]などは、飯のうまさでも
有名である。
そうそう、もう一つ、忘れてはいけない。
ここのお新香。
なぜか、必ずほんの少しだが、辛子なすが入っている。
これがまた、うまいこと、うまいこと。
贔屓、で、ある。
水菓子が出て、ご馳走様でした。
うまかった、うまかった。
立って、勘定は下。
おいしかったです。
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