断腸亭料理日記2018
引き続き、鳥越祭、土曜日。
鳥越祭の土曜日は、夕方から。
昔から職人の町なので、皆、昼間は働いており
祭は夜、という説明がされる。
夕方から夜、春日通りの北側の町会神輿の連合渡御に
参加する。
17時。恒例で、当町内は太鼓の音で始まる。
町内で大きな面積を占める都立白鴎高校の和太鼓部の
皆さんの演奏が披露される。
この音が聞こえてきたら、鯉口というシャツを着て
半纏を着、帯を〆、素足に雪駄で出る。
私の場合、完全に格好だけの、ナンチャッテ、である。
担げないし、担がない。
本当に担ぐ人は、足は地下足袋、草鞋。
下は、褌(ふんどし)か股引(ももひき)、あるいは白い短パンの
ような半股引の人もいる。
神酒所前。
既に町の神輿は鎮座している。
この向こう側で、太鼓の演奏中である。
景気がついてよい。
鳶の方。
祭ごと、地域ごとで鳶の方の祭への関わりは
多少違っている。
鳥越の場合は、完全に裏方にまわられている。
隣の三社祭などでは、もう少し表に出ていて
仕切る側だったり、宮入、宮出しに活躍したり。
三社では「新門」といって、かの幕末に活躍した
新門辰五郎の系譜を引いている鳶で、浅草寺の出入り、
ということもあるのであろう。
当町内は「わ組」。
こちらも江戸の火消しから続いている、鳶(とび)。
鳶といえば歌舞伎だと「め組の喧嘩」。
江戸落語では“カシラ”と呼ばれるキャラクターとして登場する。
通称“鳶頭”。こう書いて、カシラという。
「め組の喧嘩」は辰五郎というのが“鳶頭”で主人公。
この人が文字通りめ組の頭。
昔から、火消しのかたわら、大店に出入りし、
文字通り足場を組んだりする鳶の仕事をしたり、
様々な雑用に働いたり。
鳶=火消しにはもちろん若い衆もいるのだが、
落語に出てくる“鳶頭”は若い衆ではなく、そこそこ
年齢のいった人。実際の鳶の世界では、様々な役職があって
文字通り頭(カシラ)の人もあろうが、敬称としてカシラと
呼んでいるといった色彩が強いかもしれぬ。
強面(こわもて)で勇肌(いさみはだ)という
ステレオタイプがありそうだが、落語の“鳶頭”は
軽く抜けているところもある、ちょっと三枚目。
ただ様々な修羅場を経験しているので人柄は練れている。
圓生師匠の演じた「お若伊之助」、ちょい役だが「寝床」などの
“鳶頭”などは憎めない存在で私は大好きである。
閑話休題。
白鴎生の太鼓が終わり、いよいよ担ぎ始め。
この連合渡御には、白鴎生も担ぎ手として
参加する。
担ぎ手は七軒と名入りの揃いの半纏。
前に立っている方は、半纏ではなく着物。
この方は昨日書いた“睦(むつみ)”といっている、
町会の祭担当組織、兼、鳥越神社の氏子組織の代表の方。
神輿渡御の指揮をする。
この着物は、鳥越祭の各町内それぞれにいる睦の方々の
揃いのもの。手前で襷をしている方もそうである。
立っている代表の方の腰の帯を先ほどの鳶の方が
持っている。七軒町の町会神輿ではそこまで危ないことは
ないと思うが、神輿の担ぎ始め、前方に神輿が動いた場合など
危険なので、代表の方はこのまま後ろに倒れる。
鳶の若い衆はこれを支えるのである。
手〆に続き、拍子木カチカチと二回鳴らして、
担ぎ始め。
神酒所前から南に向かい、次の通りを左折。
鳥越祭は昔からそうなのだが、こうして細い道を
通るので、芋を洗うようになる。
鳥越神社の宮神輿、本社神輿は千貫神輿などといって
大きいのが自慢で、三社などよりもでかい。
その影響か、各町の神輿も大きめではなかろうか。
これから各町の連合渡御に向かうわけである。
毎年場所は変わるが、その年ごとに決まっている通りに
一列に並ぶ。
白鴎高校前。
七軒、永住、阿部川、菊屋橋、南松山、北松山、栄久、
三筋北の春日通り以北の八か町。
なのだが、南松山町は数年前から本社神輿の渡御はあるが
町神輿の渡御はなく、実際には七基の神輿。
これらの町はほぼ皆、旧町。
東京の町名というのは、地域によってその変化は
随分と違っている。
神田あたり、あるいは、牛込あたり。
これらは戦後の行政が行おうとした町名変更に対し
住民達の反対運動が起こり、江戸からの旧町名が
そのまま残っているところが多い。
神田多町、牛込箪笥町、、。
これに対して、台東区はほぼ全域が新町名に
置き換わっているといってよろしかろう。
黒門町の師匠といえば桂文楽師で、上野寛永寺の
黒門前なので黒門町といった。
台東区で反対運動が起きなかったのは地域性ということか。
浅草、上野など商業地、盛り場が多く、お上のすることに
あまり異を唱えないのが商人(あきんど)の気風ということ
をなにかで読んだ記憶がある。
そういえば、銀座などもそっくり変わっている。
(銀座に限らず中央区はかなりの割合で変わっている。)
銀座はもともとは和光のある四丁目の交差点までで
そこから先は、尾張町だったり出雲町だったり、別の名前
であった。
閑話休題。
私は、首と腕の痛みでここまでで、帰宅。
お神輿は、ここから連合渡御が始まり、
目的地まで数珠繋ぎになって担ぎ、集合。
提灯を取り付け、火を入れ、見せ場の火祭り。
再び一列になって担ぎ、集合。
これで連合渡御は終了。
各町までそれぞれの神輿は、一基で戻る。
終了は9時近く。
部屋から、七軒町に帰ってきた神輿の声を聴いた。
皆様、お疲れ様でした。
つづく
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