断腸亭料理日記2018
7月5日(木)夜
さて、木曜日。
ちょっと久しぶりであろうか。
五反田からの帰り道、上野のとんかつ[井泉]に寄ることにした。
上野でとんかつや、となるとなん軒もあるのだが
私は[井泉]と、とんかつやではなく、洋食と名乗っている
[ぽん多本家]である。
上野はとんかつ発祥の地、などと言われている。
とんかつは明治期に生まれた洋食やにカツレツという名前で
存在していた。豚のカツレツが人気になり、豚のカツレツだけを
出す店が現れた。
こちらをご参照「丼物考察」。
これがとんかつやの発生ということになる。
「とんかつ」という名前がいつどういう風にできたのか
というのはちょっと気になるのだが、これは前記の「丼物考察」
でもわかっていない。課題である。
ともあれ。[ぽん多本家]の創業が明治38年。
上野松坂屋裏の[蓬莱屋]が大正3年。
微妙なところではあるが[ぽん多本家]は洋食や、
[蓬莱屋]が上野では、とんかつを看板にする店としては
最古といってよいのかと思う。
ちなみに[ぽん多本家]は現在でも洋食やを名乗っているので、
とんかつという名前ではなく、カツレツという名前を使っている。
都内でも新宿の[王ろじ]は大正初期創業と名乗っており、
おそらく他にもあって、必ずしも[蓬莱屋]が嚆矢かどうかは
不確かではある。
おそらくこの時期、流行りもののとんかつは、
同時多発的に専門に出す店が都内の盛り場に
出てきたというのが正解ではなかろうか。
だが、上野界隈には大正から昭和の戦前までに
創業した[蓬莱屋]と[井泉本店]があった。
(現存しないが他にもあったことは想像できる。)
また、戦後も、惜しくも先年閉店してしまったが[双葉]などの
名店を含め、なぜかとんかつやが多く創業していた。
そして、こうした明治大正、昭和初期、戦後と創業した店が
現代まで多く残っている。
こんなことで上野がとんかつ発祥の地などといわれるように
なったのではなかろうか。
(なぜ、上野に集中していたのかという考察は、一度したこと
あるような気がするが、また別途した方がよさそうである。
例えば、最近気が付いたのだが、銀座などにはとんかつの
老舗というのはごくわずかしかない。これ、もしかすると
ヒントにはなりそうである。)
さて。
[井泉本店]。
御徒町駅を降りて、春日通りを湯島方向に歩き、
広小路も渡る。
一本目の路地を左に入り、道なりに右に曲がり、
次の左角が[井泉]。
暖簾を分けて、硝子格子を開けて、入る。
カウンターもテーブルもなかなかにぎわっている。
一人と指を出すと、お姐さんに奥のカウンターを
案内される。
白木のカウンター。
気持ちがよい。
とんかつやは、白木のカウンターが決まりだが、
これはいつからであろうか。
鮨やなど和食やのカウンターからきているのであろうが
[蓬莱屋]もそうであったか。
豚のカツレツが、片仮名のトンカツ、さらに平仮名のとんかつに
なったときに、白木のカウンターはできたのか。
座ったら、迷わずビール。
必ず、お通しの塩辛を聞かれるが、これも迷わず断る。
注文も、このところ判で押したように、同じ。
かにときゅうりのサラダと特ロース。
ご飯ととん汁は付けない。
これもいつも。
前回きた時であったか、かにときゅうりのサラダのメニュー名が
思い出せなかったら、お姐さんにかにときゅうりのサラダ?
と聞かれてしまったほど。(覚えられてしまったか。)
ビールがきて、かにときゅうりのサラダ。
ガラスの皿だが、変わったのではなかろうか。
小さくなった?、と、いうことは盛が小さくなった?。
そんなこともないか。
毎度書いているが、このきゅうりが秀逸。
こんなパリパリのきゅうりは他では絶対に食べられまい。
またもちろん、自分でも作れなかろう。
むろん、メインではないが、ここへきてこれを食べなければ
もったいない。
サラダでビールを呑んでいると、かつもきた。
特ロース。
アップ。
上野の先に挙げた二店では揚げ色がかなり特徴的。
[蓬莱屋]はヒレカツだが、濃いめ。
反対に[ぽん多本家]はかなり浅め。
ここはよい加減であろう。
また、パン粉の衣がかなりよい香り。
これはこの店のかつの特徴であろう。
そして、この店のキャッチ通り、お箸で切れるとんかつ。
文字通り、かなり柔らかい。
三軒の中では、最も庶民的というのであろうか、
気の置けない。あるいは、活気があるのもこの店か。
ただ、活気があるといっても、わさわさと騒いでいるわけではない。
厨房もお姐さんも基本必要なこと以外、まったく
口は利かない。
[ぽん多本家]はなどは、静かすぎてちょっと気詰まりになる
ようなところもあるが、ここはその分、適当に音がして
居心地はよい。
ビールを呑みほすと、お茶が出てくる。
お茶ものんで。
カツの最後の一切れを食べ終え、立つ。
後ろの帳場で勘定。
ご馳走様でした。
おいしかった。
文京区湯島3−40−3
03-3834-2901
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