断腸亭料理日記2017
引き続き、正月の歌舞伎見物、
高麗屋襲名披露興行の昼。
昼の部最後の「菅原伝授」のこと。
今回の寺子屋、よかったのは、実はもう一人。
涎(よだれ)くり与太郎の猿之助。
涎くり与太郎というのは、寺子屋の生徒役で、
悪がきキャラクターである。
芝居のなかでちょっとしたコメディーを演じる役どころ。
猿之助はむろん大看板役者。
本来はこんな役は演(や)らない。
これが役不足というやつであろう。
私は知らなかったが、昨年10月の新橋演舞場での
スーパー歌舞伎セカンド「ワンピース」の公演で腕を骨折し、
療養中で今回の高麗屋襲名興行の、寺子屋のこの役が舞台復帰
であった。
寺子屋の芝居中に「けがはもう大丈夫か」と聞かれ、
「めでたい襲名の舞台に出るために精を出して、
一生懸命リハビリしたんじゃ」とのアドリブ。
寺子屋の生徒達は子供なので皆、実際の子役。
その中で、むろん猿之助一人が大柄の大人で、子供の衣装で
子供のかつらをかぶっている。この姿もドリフのコントを観ているようで
ナイスであった。
私、猿之助という役者は好きである。
私の記憶はNHK大河の武田信玄が最初ではある。
亀次郎時代、年は若いが大武将を演ずるになんら足らぬものはなかった。
そして、先代猿之助が倒れた数年後、四代目猿之助襲名。
私が四代目猿之助の舞台を始めて観たのは2016年の歌舞伎座
「義経千本桜」の四の切(しのきり)。
これは猿之助家、澤瀉屋(おもだかや)の看板芝居といって
よろしかろう。宙乗りで行われる澤瀉屋型の狐忠信である。
歌舞伎座が新しくなって、08年10月〜14年12月まで猿之助は
歌舞伎座に出演(で)なかった。
本当の理由はわからないが澤瀉屋型の「義経千本桜」の
四の切でなければ出演ない、といったのではなかろうか。
澤瀉屋、市川猿之助家というのは、明治時代の初代から梨園とは
なかなかのトラブルを抱えてきている因縁の家といって
よいと思われる。
梨園保守本流からは距離を置き、あるいは置かざるを得ない
立場であった。(詳しくは上記リンクをご参照されたい。)
四代目猿之助は亀次郎時代から女形もこなし、立役としては
押し出しもよく、また、慶応大学卒業で頭もよい人のように見える。
現在42歳で、今回襲名の幸四郎は45才で同世代。
決して役者としての実力は引けを取らないのではないかと、思っている。
四代猿之助は歌舞伎界本流で大きな役を背負っても
なんらおかしくはないと思うのだが、悲しいかな、
門閥の世界、そうはいかない。
やっぱり、成田屋、音羽屋、今回襲名の高麗屋などとは
随分とポジションが違うのである。
むろん、そんなことはわかったうえで、涎くり与太郎で
高麗屋三代襲名披露の菅原伝授、寺子屋の舞台に出演ている。
どうも彼をみていると、そんなことを考えてしまう
のである。
さて、さて。
初芝居の観劇記らしきものは、ここまでであるが、
今回もう一つだけ、書いておきたいことがあった。
この興行は「歌舞伎座百三十年」というのも謳われている。
今年一杯そうなのであろう。
今、歌舞伎専門の劇場は国立劇場を除けば、歌舞伎座のみ。
江戸期には江戸三座というように三つはあった。
どうして歌舞伎座一つになったのか。
あまり知られていないと思うので、明治以降の歌舞伎劇場の歴史を
少しだけ書こう。
さて、歌舞伎座130年。
ちなみに、今年は明治150年でもある。
ということは、歌舞伎座は明治20年開業?。
だが、調べるとどういうわけか明治22年開業とのこと。
明治元年は1868年。
明治22年は1889年。
数えなのか、満なのか?わからぬが。
本当は、来年なのでは、という気もするが、まあよいか。
明治22年当時の東京の主な歌舞伎芝居の劇場というと、
新富座・中村座・市村座・千歳座の四座があった。
新富座は江戸三座の一つ守田座から改称したもの。
千歳座は今の明治座でこれを除いた、新富座、中村座、
市村座の三つは、江戸からの幕府公認の、いわゆる江戸三座。
歌舞伎座というのはこういった古い伝統の向こうを張って、
当時最大規模、照明に電灯を入れた最新式劇場として
登場している。
当初は新演劇運動の中心人物福地桜痴らが発起人であった。
九代目團十郎、五代目菊五郎、初代左團次の
いわゆる明治の「団菊左」時代の歌舞伎黄金期は
この歌舞伎座の舞台であったという。
一方で江戸三座から続く中村座は明治26年(1893年)の
火災焼失で、再建できずそのまま廃座。
その後、明治43年(1910年)新富座は東京進出を目指していた
大阪の松竹が買収し傘下入り。
今の歌舞伎座の経営はご存知のように松竹であるが、
主たる経営者の病気などにより大正2年(1913年)新富座に続き
松竹の株買収攻撃にあい松竹傘下になっている。
対して、市村座は江戸からの浅草猿楽町から明治25年(1892年)
から二長町(台東一丁目で今の凸版印刷本社そば)に移転、
六代目菊五郎、初代吉右衛門を看板に大正期大当たり。
その後、二人を育てた経営者の死去により、吉右衛門が脱退、
菊五郎が支えたが次第に衰退し、関東大震災で焼失。
菊五郎はバラックで市村座を再興したが、借金が重なりついに
松竹に入り、市村座も松竹傘下になった。
新富座は松竹傘下で上演を続けていたが、やはり震災で焼失し
再建されず、廃座。
そして1932年(昭和7年)最後まで生き残っていた
江戸三座の一つ、市村座も失火焼失により廃座。
こんな流れで、歌舞伎座一座のみになっているのである。
松竹の買収の歴史。
火災焼失による廃座の歴史であろうか。
江戸の頃から劇場は照明用の火を使うため、火災というのは、
繰り返されておりそのたびに、控え櫓といって、三座のサブ的劇場が
代理となって歌舞伎興行をしていた。
また、劇場経営というのは常に火の車。一つには千両役者
などというが、スター役者では実際に経営を圧迫するほど
高給を取っていた。また芝居が当たらなければむろんお客がこない。
そうすると当然お金がなくなる。これも大きなリスク要因。
不入りが続いて、火事にでもなれば、再建する貯えもない。
そんな状態の繰り返しであったようである。
防火も脆弱で江戸からの経営が明治になってもそのまま続いていた
というのが滅んでいった原因の大きな部分ではなかろうか。
また、新時代に台頭してきた、歌舞伎以外のショービジネス、
例えば大正期に大ヒットした浅草オペラ、活動写真などに、
徐々に観客を取られていったこともあったのであろう。
結局東京で常設の歌舞伎劇場は一座のみで間に合う程度の観客数に
いつの間にかなってしまったということか。
おわり
画:豊国 文化11年 (1814年) 江戸市村座
世界花菅原伝授 松王丸 五代目松本幸四郎
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