断腸亭料理日記2018

断腸亭、京都へ その13

断腸亭の京都。

3日目の朝。

今日帰るわけだが、多少疲れ気味。

二か所を見て、帰ろう。

一か所目は、東山の青蓮院門跡(しょうれんいんもんぜき)。
実のところ、昨日の金地院の隣といった位置関係にあるところ。

祇園からも近い。

祇園のアパホテルというのはほんとによい場所にある。

祇園さん、八坂神社の前。
まだ朝の雰囲気。

参道向かって左側の坂を登っていく。
ここは円山公園といってよいのか。

芋棒が名物の[平野家]。
なん回か入っているが、ここ好きなのである。

左へ。

と、ここに大きな大きな三門。

浄土宗総本山知恩院。

知恩院はむろん、親鸞聖人。
ここ東山、昨日の臨済宗の大本山南禅寺と浄土宗の知恩院が並んでいるのである。

三門前を少し歩くと右側、もう到着。

青蓮院門跡。
曼殊院門跡同様、皇室関係のお寺。

2009年

もう10年も前になるのか。
私が京都の庭なんぞに興味を持ったきっかけが
たまたまのぞいてみたこのお寺であったのであった。

心なき身にもあはれは知られけり、ではないが、
まったくそれまで、興味はなかったが、ここの庭を見て、
世の中にこんな庭があるのか、と感動をしたものであった。

いわゆる日本庭園といえば、東京では、浜離宮だったり
六義園だったり、いわゆる大名庭園ばかり見てきたが
特段の美的興味というのか、好ましく思う感覚はまったく
持たなかった。

昨日の曼殊院もそうなのだが、ここ青蓮院の庭は私が知っている
大名庭園とは、明らかに違っていた。

大きな楠。

青蓮院にはなん本も楠の古木があるが、門前の通に面した
角のもの。お化け楠などといわれていたと思うが、聞けば
弱ってきて、数年前に枝を切ったという。

門を入る。

これも通用門、簡素なもの。

石畳に左右は漆喰壁。
紅葉もきれい。

これも通用玄関なのであろう。

拝観料を払って上がる。

青蓮院門跡。門跡寺院としての歴史は平安末、平清盛の頃から。
以来、皇族または五摂家出身者が門主を務める格式になった。
現在の場所に移ったのも古く、鎌倉の頃という。
江戸期、京都の大火により内裏が消失した際に後桜町上皇の
仮仙洞御所となっている。

ここの建物は昨日の曼殊院よりも数も多く大規模。
ただ、明治に火災でほとんど消失し、現在のものはその後に再建、
あるいは移築されているもの。主要な建物は、本堂、門主の居間であった
小御所、ゆかりの天皇、門主の位牌を祀る宸殿(しんでん)、
茶室好文亭。好文亭は後桜町上皇の学問所として使われたものという。
しかし、1993年(平成5年)中核派の連続放火事件に遭い全焼。2年後に
創建当初の建築に忠実に再建されたものという。

やはり、ここは庭を見るところであろう。

青蓮院さんのページを参考に図を作ってみた。


庭は大きく4か所に分けられるか。
龍心池を中心に築山のある山水の庭園。泉水庭。
ここは古く室町後期、相阿弥という絵師の作と伝わる。
それから泉水庭の奥にある霧島の庭。これは伝小堀遠州。
さらに好文亭の前庭。大森有斐の庭と呼ばれているもの。
そして宸殿前の庭。

まずは池の前の廊下からパノラマで撮ってみた。

大きな松の木と池と紅葉。
正面、松の向こうに見えているのは華頂殿。
紅葉は美しいが、このアングルはイマイチか。

小御所の縁側から池。築山が見える位置。

築山とその向こう側の木々は丸く刈り込まれており、
江戸、遠州以後といってよいのか。

さらに奥から。

これがベストではなかろうか。

室町期のデザインというのはこんな感じである、といわれると
そんな気がしてくる。

木々は刈り込まれていないのだが、美しい。
左側の建物脇から枝を出している黄色く色づいている木、
見え隠れしている石橋、池の表、右側の枝ぶり。
自然な感じではあるが、バランスが取れている。

 

 

 

つづく

 

 

 

 

 

 


青蓮院門跡

 

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