断腸亭料理日記2018
断腸亭の京都、もう少し続く。
南禅寺塔頭の金地院の庭を見てきた。
ここから、説明付きで方丈と茶室の見学。
方丈には「布金道場」という書の額が掲げられている。
これはかの山岡鉄舟の筆。
明治初期、廃仏毀釈の嵐が吹き荒れる中、寺ではなく道場である
という意味で書いたという。
幕府ゆかりのところ。真っ先に狙われたのであろう。
鉄舟先生、流石である。
さて。
方丈と茶室の見学。
どちらも重文。
方丈の襖絵は狩野派。金地の豪華なものもある。
だが例によって、室内は撮影禁止のため、ここも省略。
次に茶室。
名前が八窓席という。これももちろん遠州作。
大徳寺孤篷庵、曼殊院の八窓軒と合わせて、京都三名席の
一つという。(曼殊院は先ほど見てきた。外だけだが。)
遠州は茶人でもある。
その人の設計(実説は遠州改造とのこと)したものである。
私自身、お茶はまったくの素人であるし、
今のところやるつもりはない。
見て、説明を聞いて興味をそそられたのは、ここも
やはり家光がくることを想定していたよう。
例えば利休であれば、アンチ秀吉の黄金の茶室ということで
二畳にし、頭を下げないと入れない躙(にじ)り口というような
設(しつら)えがある。
しかし、遠州のこの茶室は躙り口はあるにはあるが、
障子がちゃんと表にもあり、上位のお客の場合そちらから
入るという設定になっていること。
もう一つ、興味をそそられたのは、この八窓席の裏側になるが
崇伝のプライベートな茶の間のようなところ。
これが床の間というのか違い棚が設えられており、小さな空間だが、
この意匠が実に趣味がよい。渋いのである。
遠州が関わっていたのかどうか不明だが。
と、いうことで建物内部の見学は終了。
差しで話が聞けたのはよかった。
時計を見たら、1時間以上も。
京都といえば、紅葉の名所は人が多いのであろうが、
東照宮を含めて金地院など紅葉ということでもなく、
あまり知られてもいないのであろう。
ただ、書いたように江戸初期の我が国を代表する庭であり
この時期の幕府、将軍家との密接な関わり、いや将軍家そのもの
といってもよい意味がありそうだということはもっと知られて
然るべきであろう。
芸術性はどうであろうか。
意味を聞いてみると、なるほど、と膝を打つ。
厳粛、荘厳という言葉が当てはまる。
ただ、どうなのであろうか。
私のような素人が見ているので正しい指摘かどうか怪しいが
背後の幾何学的に配置された丸く刈り込まれた(はずの)木々など、
管理がもう一つのように見える。
曼殊院のところでも書いたが、作庭者のデザインコンセプトは
庭師のその後の管理があって初めて後世に残される。
もちろんお金も掛かる。
わかっていてもできない、のかもしれぬ。
そのためには皆の目がここにもっと集まることが条件
なのであろう。
“伝”ではない紛れもない小堀遠州作の金地院庭園、
訪れていただきたい。
さて。疲れた。
帰ろう。
ここから祇園のホテルまでは坂を降りるだけ。
歩いてもそうはないだろう。
蹴上のインクラインの下まで降りてきた、、、
が、もう根性がなくなった。
タクシーをつかまえて、ホテル到着。
後から考えてみると、この時、風邪をひき始めていた
ようである。かなり疲れたので、1時間ほどベットで休息。
晩飯は、昨日は板前割烹[阪川]を予約して行ったが
今日はプランなし。
簡単なもの、それこそラーメンやでもよいか、と思っていた。
が、ラーメンは北白川の[魁力屋]で昼食べた。
私には毎度お馴染み、南座の[松葉]にしよう。
起き上がり、出る。
観光客であふれる四条通を真っすぐに西、四条大橋東詰。
京都南座。
恒例の顔見世興行のふたが開いたところ。
祇園界隈では、風物詩なのであろう。
昨日の[阪川]でも、入った喫茶店でも噂する人が
少なくなかった。
ちょうど芝居がはねた時刻であった。
入るとごった返していたが、二階で座れた。
ビールをもらって、なににしよう。
品書きを見る。
毎度お馴染みのにしんそばでは芸がない。
鴨のぶっかけのようなものが目に付いた。
もう冬であるが京都では、冷たいそばを食べる習慣があるのか。
だが、うまそうである。
と、すると肴にはにしんをもらおう。
にしんの三種盛り。
そばと肴と同時に頼んだが、ずらしますか?と
ちゃんと聞いてくれる。
よい頃に声を掛けてくれ、とのこと。
ビールはサッポロラガー。
にしんの三種盛り。
見た目は同じようだが、にしんそばに入れるもの、
山椒の風味がついたものやら。
流石に老舗[松葉]、どれもこなれた味で、うまい。
そば。
鴨は焼いたものではなく、湯がいているか。
柔らかい。
おろしも下にある。
これがまずかろうはずがない。
うまい、うまい。
食べ終わり、下で勘定。
おいしかった、ご馳走様でした。
つづく
金地院
京都市左京区南禅寺福地町86-12
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