断腸亭料理日記2017
4月12日(水)昼
今日は朝からつくば。
昼前にTXで都内に戻ってきた。
昼飯をどこで食べようか。
つくばからオフィスのある五反田までの間だと、
昼飯ポイントは乗り換えの秋葉原か、五反田。
五反田ではいつも通りであるし、秋葉原は
駅周辺はこれ、というところが思い浮かばない。
はて。
どうしたものか。
ん!。
浅草で降りよう。
浅草から都営浅草線で五反田という手がある。
TXの浅草駅は国際通りのROXそばだが、ここから
吾妻橋南の浅草線駅までの間で食べればよい。
と、すると。
久しぶりに蕎麦の[尾張屋]にしようか。
[尾張屋]雷門通りの北側。
浅草にも蕎麦やは多いがおそらくここが最も古い暖簾なの
ではなかろうか。
浅草寺御用という看板も掲げている。
創業年には二説あるようである。
160年ならばペリー来航の嘉永年間になる。
もう一つは明治3年(1870年)というもの。
どちらが本当なのか。
あるいは、どちらも本当か。
例えば、商売を始めた年と、今の場所に移った年、
または、以前は別の商売をしていたがその商売を始めた年と、
蕎麦やに替わった年、そんなところかもしれない。
(浅草だと並木の[藪蕎麦]が古そうであるが、ここは意外にも
大正2年創業である。)
ともあれ。
TXからデニーズの脇から地上に上がってくる。
ウイークデーであるが、浅草はかなりの人出。
むろん、内外の観光客である。
例えば、6〜7年前、スカイツリー開業以前とは
比べものにならないかもしれない。
六区の通りに出て、すし屋通りを抜けて、雷門通り。
左側のアーケードを歩いて、ハンバーグの[モンブラン]の
先が[尾張屋]。
支店が雷門の数軒吾妻橋寄りにあるが、こちらが本店。
暖簾を分けて入ると、ここもかなりの人。
お二階へ、というので階段を上がる。
空いていたテーブルに相席で座る。
二階もほぼ観光客であろうか。
意外にここは地元の人間もくる。
古くは、元祖断腸亭永井荷風翁も頻繁にここに足を運んでいた。
翁がよくきていたのは、晩年といってよい戦後だと思われる。
一時期、ストリップのロック座の楽屋にも出入りしていたのは
有名だが、その頃であろう。
浅草で翁の行き付けの食い物やはなん軒かに限られるようだが
ここはその一軒。
ただ、翁は池波先生のような食いしん坊、食道楽ではなかった。
武士の家の出で、男が食い物のことをぐずぐずいってはいけない
という教育を受けたので、面倒なので食べる場所とものを決めて、
それだけを食べ続ける、という食事の仕方をしていたのである。
ここでも食べるのは判で押したように、かしわ南蛮であったという。
おまけに席も決めていて、そこに先客がいると、前に立って
あくのを待ったという。文化勲章まで貰っているが
まさに稀代の変人である。
今もその1階の席の壁には翁の写真が飾られている。
閑話休題。
ここへきたら、やっぱりこれ。
そばやだが、そばではない。
上天丼。
特大海老天二本。
地元の者はこれを頼むことが多いのではなかろうか。
ここの看板といってよい。
甘さを減らした、かなりしょうゆが強い丼つゆ。
さすがに下町浅草。
ほくほくと掻っ込む。
お吸い物もお新香も全部平らげる。
下へ降りて、出入口そばの帳場で勘定。
眼鏡のお婆さんが座っている。
大女将であろうか。
ありがとうございますぅ。
おいしかったです。ご馳走様でした。
さて、大海老天丼。
今となってはなぜこんな大きな海老天が看板になったのか、
もう一つ腑に落ちないようにも思われかもしれぬ。
そもそも天ぷらというのは江戸の町で、屋台を含めて、
発達した。
甘辛の丼つゆにひたした天丼、当初の名前は天ぷら丼(どんぶり)、は
うな丼の次、明治20年代には一般化していたと考えている。
そして、今もそちらの方が多いが、基本はかき揚げ丼。
明治から大正、時代とともに東京ではかき揚げが巨大化する、という
競争が起きていたのである。(浅草[中清]の大きな雷神揚げ
などはその名残であろう。)
一本の海老天を大きくするというのはその後の
さらなる差別化であったのではなかろうか。
まあ、私の仮説ではあるが。
今度ここで聞いてみようかしら。
台東区浅草1-7-1
03-3845-4500
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