断腸亭料理日記2016

叔母のこと〜

大森海岸・洋食入舟 その2

引き続き、叔母の葬儀から大森海岸の[洋食入舟]。

玄関から下足。

木製の急な階段。

二階へ上がる。

玄関の目に付くところに、大森海岸料飲組合(であったか)、
の札が貼ってあった。

いつ頃、なのであろうか。
昨日も書いたが、ここはその昔、大森海岸という花柳界であった。

料飲組合は通称“組合”などと略したりしていたようだが、
花柳界のことである。
つまり「大森海岸料飲組合」の札が貼ってあるというのは、
大森海岸の花柳界に属している飲食店である、ということであろう。

花柳界といっているのは、当時の言葉で、わかりやすくいえば、
芸者さんのいる街、という意味である。

資料(「近代東京における花街の成立」2008)を調べると
明治31年(1898年)に二業地の指定がされているようである。
そしてその後、昭和2年(1927年)に三業地となっている。

花柳界、いわゆる芸者町というのは、二業地、あるいは三業地という
いい方をされていたが、今の風営法にあたるようなもので
この範囲で営業をしていいですよ、という許可のもとに
商売をしていたのである。

芸者さんがいる芸者置屋、部屋を提供する待合(まちあい)、
食事を提供する料亭。この三つで三業地。
(三業地の場合は料亭から待合に料理を運ぶわけである。)
料亭と待合が一緒になっているのが二業地、で、ある。

ここは京急の大森海岸駅というのが最寄でJRの大森駅は
少し離れている。

大森海岸駅の開業は明治34年(1901年)。
JR/国鉄の大森駅は、かの新橋・横浜間に岡蒸気が開通した時で
明治9年(1876年)。

明治に入り、文明開化。海水浴の習慣が流行り始め、
大森の海岸は海があって、魚がうまく、風光明媚。
また、以前に五反田の花柳界のことを書いているが、
五反田は当初、鉱泉旅館というようなふれ込みで始まっていた。
実に、この大森海岸も同様であったようである。

現代の大森で考えてはいけない。
埠頭があって今の大森海岸は海などは遥か彼方である。

大森海岸の北側が大井競馬場のある、勝島。
南側が競艇場のある、平和島。
(しかし、ここ、ギャンブル場が並んでいたのだ。)

勝島は日中戦争に勝つように、勝島らしい。埋め立て開始がそんなわけで
1939年(昭和14年)。平和島に至っては、戦後の1967年(昭和42年)の竣工。

今ではとても考えられないが、戦争まで大森海岸駅は、
文字通り、大森海岸にあったのである。

そうなのである。
私の親爺は、こんな環境で育ったんだぁ〜。
戦前、大森、大井界隈の宅地化は進んでいたのであろうが、
まだまだ畑もあって、海では海苔も作られ、
貝やら蟹やら小魚やら、子供達は、大森、大井の海岸で獲って遊んでいた
のであろう。
そんな昔話も、微かに聞いたことがあるような。

ともあれ。
そんなところに、明治、私の爺さんが生まれる前から
既に芸者さんのいる町ができていたのである。

地図を出してみよう。

調べていたら、なんと今でも大森海岸花柳界の芸妓置屋さんが残っていた。
[由の家]さんというよう。

[入舟]よりも駅寄りである。

このページによれば、以前の芸者町は今の海岸駅の西側ではなく、
海側、海に隣接して第一京浜のさらに海側にあったようである。

また、海沿いに大井、大森海岸、大森新地と海沿いに三業地が
続いていたようである。(ということは[入舟]も今の場所になる前に
なん度か移転しているのかもしれない。)

これら花柳界の最盛期は戦争まで(当時芸妓380名)。
戦後の復興である程度盛り返し(昭和40年代に芸妓200名)たが、
先のように勝島が完成、平和島もできて、海は見えなくなり、
徐々に衰退し、マンションになっていった、ようである。

しかし、200〜300人の規模は都内でもかなり大きい。
五反田の時にも書いたが、このあたりははっきりいえば
場末。実際のところはお金さえ出せば、いわゆる遊郭に近い商売
であったと思ってよいのであろう。(むろんその当時の話しである。)

うちの親爺は真面目一辺倒の秀才(?)であったというが、
爺さんの方は身体がわるく兵隊にもいかず、これといった
定職もなかったと聞いている。爺さんこのへんで遊んでいた?。

毎度の与太話が長くなってしまった。

ただやっぱりここは私のルーツの地。
私流だが、整理しておいた方がよいだろうという思いである。

と、いうことで、やたら急な階段を上がってお座敷。
ここはお座敷洋食[入舟]ともいうようである。

部屋に入ってみると、今は畳の上にテーブルと椅子。

部屋もなかなか年季が入っている。

ビールをもらって、注文。

先にも書いたが、今、なかなかこの店は話題のようで、
特に、ニューカレドニア産の特別な有頭海老を使った
海老フライが看板で、その名も、天使の海老フライとのこと。

4人なのでこれを2皿。

それから、従妹達によると、クリームコロッケがうまい
とのことで、それも2皿。

それから時期のものでカキフライ1皿。
サラダも一つ、大山地鶏のチキンサラダ。

サラダから。

鶏は焦げめ付き。
なかなか丁寧な仕事。

きた。

これが、天使の海老フライ。

 


つづく

 


03-3761-5891
品川区南大井3-18-5



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