断腸亭料理日記2016
7月7日(木)夜
木曜、19時、日本橋で仕事終了。
なにを食べようか。
まだしなければならないことがあるので
さくっと。
うん。
で、あれば、室町の蕎麦や[利久庵]。
納豆そば、で、ある。
地図を出しておこう。
現代
[利久庵]は三越の反対側。
鰹節の[大和屋]の脇を入った左側。
町名でいえば室町一丁目。
今は日本橋から北の中央通りの両側が
室町で神田方向に二丁目、三丁目、四丁目となっている。
江戸
ただし、以前の室町は通りから路地一本分でその裏は
すぐに別の町で、東側の裏が本船町、長浜町、本小田原町。
西側は品川町、駿河町。
魚市場の魚河岸は東側で、本小田原町あたりまで。
今の[利久庵]の通りが本小田原町。
[山本海苔][大和屋]、はんぺん発祥の[神茂]、
[にんべん]、弁当の[弁松]などがこの界隈にあるのは
その名残。
ただやはり、今、ここに魚河岸があったことは
ほぼ想像がつかない。
いつまであったのか。
それも、ご存知の方は、そう多くはないのではなかろうか。
遥か昔のように思われるかもしれぬが。
いつかといえば1923年。
今から96年前。
そう大正12年、関東大震災で焼けるまで。
震災後、ご存知の築地に移転しているわけである。
(その築地が実際に魚市場の機能を開始するのは
実際には第二次大戦後。そして、戦後70年がたち、
今年豊洲に移転するわけであるが。)
[利久庵]の創業は戦後すぐ、昭和27年(1952年)。
当代で三代目。初代は三重県出身で
ここに店を開き、新しいメニューとして
納豆そばを考案したという。
納豆そば発祥の店といってよいのであろう。
当初はやはりなかなか受け入れられなかったという。
今でも、並木藪などの伝統な江戸・東京の蕎麦やのスタイルに
忠実な(?)ところに納豆そばはない。
魚河岸のなくなった戦後のこの界隈というのは
どんな歴史を歩いたのか。
よくわからないが、今のこの界隈をみると、飲食店と
大小のオフィスビルで構成されているといってよかろう。
一つだけ、特徴的な業種とすれば、画廊
ギャラリーがなん軒かあることか。
画廊は例えば、銀座であったり日本橋を渡った
高島屋あたり、などにもなん軒かあるが、
大企業の本社が軒を連ね、そういったところの
幹部、経営者などがお客ということになろう。
そういう意味では、他の都心部とあまり変わらない
街に変わっていったといってよいのだろう。
まあ、それでも[利久庵]は街の蕎麦やとは、どこか違う。
気の置けない雰囲気はあるが、上品。
基本、そんな具合で戦後のこの界隈のサラリーマンが
お客といってよいのだろうが、ちょっとお上品なのは
三井銀行、三越、日本銀行の人もくるのか、あるいは、
日本橋本町あたりの製薬会社、、、。
ある程度限られた業種で、比較的給料も高そうな、、。
わからぬが、そんな気がしなくもない。
[利久庵]。
19時すぎに入ると、一階はほぼ満席で
相席で空いている席に掛ける。
ビールはなしで、納豆そば。
すぐにくる。
隠れて見え見えずらいが、蕎麦は白く細い更科系。
添えられている練りからしとねぎを入れて、
納豆、生玉子の黄身も含めて、よくかき混ぜて、
すする。
私は他の蕎麦やで、納豆そばは食べないので、
断定的なことはいえないのだが、おそらく、
ここの納豆そばは、つゆも工夫があるのではなかろうか。
ただの盛用のつゆではないと思われる。
濃くもなく、薄くもない。
また、食べ終わっても、丼の底につゆが余ることがなく、
ピッタリ。
よく計算されている。
なんであろうか、このうまさの秘密は。
食べ終わり、席を立つ。
入口脇の勘定場。
座っているのは三代目であろうか。
950円也。
千円札を出して、50円のおつり。
にこやかに、ありがとうございます。
ご馳走様でした。
また今度、秘密を探索にきます。
中央区日本橋室町1-12-16
03-3241-4006
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