断腸亭料理日記2016
1月21日(水)夜
1月21日(水)夜
引き続き、鍋二題。
ビールを抜いて、ねぎま鍋を食べていると、
内儀(かみ)さんも帰ってきた。
一人で食べていると、うまいうまいと、二人分を
食べ切ってしまい、白魚を方はやめにしてしまいそうであった。
内儀さんも、うまいうまいとねぎまを食べ、
白魚にかかる。
別の鍋、今度は土鍋を用意。
先ほど取った昆布出汁を張り、薄口しょうゆで
軽く味をつけ、一度煮立たせる。
それから玉子でとじるための溶き玉子を用意。
一個分でよいだろう。
三つ葉を切る。
まあ、こんなところ。
これはもう、入れればできてしまう。
カセットコンロ上で生の白魚と豆腐を入れ、
溶き玉子を流し入れる。
煮えた。
白魚の玉子とじというのは、日本料理では
定番のようである。
池波先生が書かれているのは、白魚の椀もりと書かれていたか。
玉子とじだが、おそらく戦前の浅草の料亭で出された
お椀ものであったようである。
小皿に取って、食べる。
(玉子が入らなかった。)
白魚には味というほどの味はほぼない、かもしれぬ。
なにもこんなものを食べなくともいいではないか、と思うくらいの
か細く、はかない、早春の味覚、で、ある。
江戸前を代表する種なので、にぎりの鮨にもするし、
天ぷらにもする。
江戸開府時、家康は漁の技術が発達していた上方(かみがた)
摂津佃村(大阪市)の漁師を江戸に呼び寄せ、
隅田川の河口、石川島の南を埋め立てをし住まわせたのが佃島。
そして、江戸の前の海での漁を彼等のみに許した。
家康は白魚が好物で以来、毎年毎年、佃の漁師達は
「御本丸」と書いた提灯を舟の舳先に掲げ、白魚を漆塗りに金蒔絵の箱に入れ、
将軍家の台所に届けるのを習わしとしていた。
「月も朧に白魚の 篝(かがり)もかすむ 春の空・・・」
漁師達は早春の暁闇、篝火を炊いて四手網で獲っていた。
これは黙阿弥翁作の名台詞。
かの「三人吉三廓初買」「大川端庚申塚の場」。
文字通り大川端というと大川・隅田川の川岸のことであるが
実際には、狭義の大川端というのであろうか、ある程度
範囲が決まっていた。
まず、大川の東側。西側にはあまり使わない。
佃島よりももっと上流。
今、箱崎のあたり、三又で隅田川は北に向かって
左にカーブし、右に芭蕉庵のあった、万年橋(小名木川)。
さらに、新大橋。安宅なんという地名もあり、竪川、両国橋。
この三又あたりから両国橋あたりまでの本所側が狭義の大川端
であったといってよいように思う。
だいぶ上流のようだが、このあたりまで白魚漁が行なわれていた
のである。
明ぼのやしら魚しろきこと一寸 芭蕉
芭蕉はその大川端の万年橋そばにあった芭蕉庵に
長らく住んでいたので江戸の句かと思うと、
これは桑名での作のよう。
ふるひ寄せて白魚崩れん許(ばか)りなり 漱石
これは四手網で獲っている様子か。
白魚や椀の中にも角田川 子規
これは間違いなく、東京の句。
ちなみに、季語としての白魚は春である。
さて。
いつ頃まで、江戸前で白魚が獲れていたのか。
驚くことなかれ、戦後。
昭和30年代に東京湾内の埋め立てが本格化するまで。
戦争中というのは意外に東京の経済活動が活発ではなく、
むしろ東京湾はきれいになったという。
佃島に限らず、東京オリンピックを控えた昭和37年、
東京都内湾漁業権放棄が決まり、江戸から続いた
江戸前漁業は終了している。
高度経済成長期、隅田川、東京湾は死の川、死の海になった。
ご存知の通り、花火大会もなくなった。
が、環境問題が叫ばれ、工場から汚水は流されなくなり、
家庭の下水も発達し、隅田川、東京湾も少しずつきれいになった。
そして小肌や鱸(すずき)、穴子など江戸前の魚も帰ってきた。
出回ってはいないが、すみいかも生息はしているらしい。
だが、聞くところによれば、規制内の排水を流しているが、
それでも、ある程度の汚れはあり、これ以上はきれいにはならないらしい。
以前は東京湾といえば、遠浅。いわゆる干潟である。
砂地で蜆、浅蜊、ばか貝など貝類が豊富でこれが浄化していた
ということである。
隅田川も東京湾もすべてコンクリートの護岸。
一部、お台場だったり荒川河口あたりでは砂浜、干潟を復活させようという
取り組みがされ始めてもいると聞くが、どのくらいの効果があることなのか。
白魚に加えて砂地で獲れていた芝海老などもそうなのであろう。
ともあれ、白魚。
江戸、東京の早春を代表する風物詩であった。
これらが戻ってきて本当の東京湾であり隅田川であると
思うのだが、夢のまた夢、なのか。
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