9月22日(火)夜
引き続き、「伽羅先代萩」観劇記その5。
今日は「先代萩」の下敷きになっている
歴史上の事件、伊達騒動をからめて、みてみたい。
いわゆるお家騒動。
江戸時代、いや、戦国時代にもあったか。
武士の家では、大は将軍家、大名家から小は、江戸でいえば旗本まで
よく起こったことなのであろう。
それが、所帯が大きくなればなるほど、ステークホルダーも多く、
互いの暗闘も激しかったのであろう。
そしてそこに様々なドラマが生まれた。
大きな大名家であればあるほど、本来は見られない
身分の高い人々の暗闘なのでスキャンダラスで、
世間に与えるインパクトも強く、庶民の興味も惹きつける。
それで芝居になる。そういうことなのであろう。
この芝居にまつわる実際の人物の名前を入れて、
相関図を作ってみた。
()内が実在の人物の名前である。
三代藩主の綱宗、その子の亀千代。
そして、乳母の政岡と千松。
この四代目になるであろう亀千代に介入してくるのが伊達兵部。
この人は、伊達正宗の十男。仙台藩の支藩、一関藩の藩主。
亀千代からは大叔父にあたる。
こういう立場の人であれば本家の当主が隠居させられたとくれば
黙って見てはいられまい。俺が継いでやる、くらいに考えるのも
当然であろう。
もちろん、この伊達兵部に付く者もたくさんあり、
その親玉が仁木弾正こと原田甲斐という人物。
ここに江戸幕府も絡んでくるので、もっとおもしろい。
兵部派は、下馬将軍と呼ばれ当時幕府の大権力者、大老酒井忠清。
正統派は、老中板倉重矩。
実際に幕府の酒井大老と板倉老中がこの件で戦っていたのか
それは不明であるが、戦っていた方がお話しとしてはおもしろい。
「先代萩」では大詰で刃傷事件になっているが、これは史実。
場所が大老酒井家であったので、酒井家の家臣も巻き込んだ、乱闘になった。
芝居では、正統派の勝利ということになっているが、実際は
喧嘩両成敗で乗っ取り派の親玉、伊達兵部の一関藩は改易、
正統派も亀千代以外すべて処罰されたというのが史実のようである。
また伊達騒動はこれだけで実は収まらなかった。
亀千代は成人後、綱村となり名実ともに藩主となるが
大所帯で伊達家一門のうるさがたも多かったのであろう、
綱村が側近を重用するとこれがまた争いの種になり、
最後には将軍綱吉の耳に入り、綱村は隠居に追い込まれ、
従弟である伊達吉村が五代藩主になって、やっと長いお家騒動は
終結したということである。
やれやれ。亀千代の綱村、よくよく悲運というのか、、。
まあ、もともとは父、綱宗の不行状から始まっているので、
ではあるが。
しかし、昨日の仙台高尾の件は、後の世の創作としても、
実際のところ綱宗の吉原通いはどんな有様であったので
あろうか。ほんとうに政務に障りがあるほどのものであったのか。
事実ではなく追い落とすための口実であったとの説もあるよう
だが。
ともあれ。
もう一つ、今回調べてみて、おもしろいことがわかった。
この芝居でも最も重要な役どころである、鶴千代の乳母政岡。
実はこの人のモデルは、乳母ではなく、鶴千代の実母、
三代藩主の側室、三沢初子という女性であったのである。
これは私はびっくりなのだが、昔から見ている側は承知のこと
であったようである。
初子は側室というが、綱宗には正室がおらず実質的には
正室扱いであったともいう。
幼少の鶴千代を護り、立派に成人させ藩主にさせることに
邁進をした立派な女性というので、昭和9年に初子の墓のある
目黒の正覚寺というお寺に像が建てられている。
(この初子像は当時、政岡を演じた六代目尾上梅幸を
モデルにしたという。また、これは今もあるよう。)
また、さらに図を見ていただきたいが、
初子は正宗の正室である振姫の侍女であった。
振姫は池田家から嫁いでいるが、秀忠の養女という身分で正宗の
正室になり、家康の外孫にあたる。このため振姫は
伊達家でも絶大な権力があったのではなかろうか。(※)
初子自身も才色兼備であったともいうが、振姫の侍女というところから
正室に限りなく近い側室になったのであろう。
こういったことがあって、酒井大老やらの幕府表の介入だけでなく
初子には将軍家奥とのつながりもあったということを想像しても
よいのかもしれない。むろん私の勝手な憶測であるが。
そんなことで、伊達騒動は幕府、将軍家を巻き込んだ
大騒動になっていったのではなかろうか。
(初子と将軍家奥とのつながりなどは書簡など残っていても
不思議はなかろう。調べられているのであろうか。)
まさに、ドラマとすればスキャンダラスで、おもしろい。
しかし、政岡=初子の銅像が建てられ、さらにそれを演じた役者
をモデルにしたということは、やはりこの当時の「先代萩」の
大人気を裏付けているといってよろしかろう。
また、ただ大人気であっただけなく、政岡が若君を守った行動、
すなわち、忠君ということが大いに支持されること
であったのであろう。
さて。そろそろ、この稿まとめなければいけない。
やはり、今の「先代萩」の作品構成が決まった明治の頃から
昭和初期という時代背景が、大いにこの作品に影響していた
と考えている。
そもそもお家騒動モノという作品群は、構造として
乗っ取り派と、正統派の戦いである。
そして、作品としては勧善懲悪で、
必ず正統派が勝利しなければならない。
江戸期にこの作品の素は作られているのであろうが、
明治以降、忠君思想は強く一般に流布され、正統派の
勝利する勧善懲悪の物語として、大衆にうけた。
そういうことなのであろう。
また、一方で今では上演されなくなってしまった
仙台高尾の芝居のことである。
文化の頃の浮世絵が残っている。初演がいつかはわからないが、
スキャンダラスであり、残酷無比であり、また悲しい物語である。
いかにも江戸後期の趣味といってもよいかもしれぬ。
この二つが明治以降に同時に存在しており、
仙台高尾の物語も、よく知られるものであった。
東京の観客が相手、ということだったのかもしぬが
忠君だけでない、江戸趣味も併存していたというのは
おもしろいことである。
了
※二代忠宗は正室振姫の子ではなく側室貝姫の子である。
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