11月13日(金)夕
夕方、日本橋。
五反田のオフィスから、都営浅草線で
日本橋駅まできた。
浅草線の日本橋駅は昔は江戸橋という
駅名であった。
日本橋川に架かるご存知の日本橋の一本下流が
江戸橋でこちらに近いから当初は付けられたので
あろう。
昭和通り西側の出口に上がってくる。
ここは江戸橋の南詰。
昭和通りをはさんで西側が野村證券本店のビルで
東側が日本橋ダイヤビル。
日本橋ダイヤビルというのは、昨年再開発が終わり、
下層部分に石造りでクラシックな建物を残している。
ダイヤという名前からわかるが以前は三菱倉庫。
これは昭和5年竣工で、昭和通りと同じ頃に
できているといってよいのであろう。
江戸橋を渡る。
地図を見てみよう。
ついでに江戸の頃の地図も。
黒の文字は江戸のもの。赤は現代のもの。
[神茂]と[山本海苔]は江戸から現代まで場所は変わっていない
と思われる。
今は昭和通りが江戸橋であるが昭和通り以前には
100mほど下流側、ちょうどダイヤビルの裏のあたりに
架かっていた。
これは広重の江戸名所百景の江戸橋。
時期は幕末。
毎度ながら、広重の構成力は見事である。
江戸橋の欄干から日本橋方向北側を見ている。
この江戸橋と日本橋の間の北側の河岸が
ご存知の『日本橋魚河岸』であった。
手前、橋の上には魚やが運んでいるらしいたらいの魚。
遠景、日本橋の手前が魚河岸で倉も見え、日本橋川には
多くの舟が見える。
昭和通りができたのは大正時代の関東大震災の後、昭和初期。
地震後の火災で東京下町は灰塵に帰したわけである。
それで帝都復興と合わせて江戸以来の細い道路の道を広げ
建て込んだ町割りを今のものに変える大区画整理をした。
昭和通りはその象徴的存在といってよかろう。
江戸開府以来、300年に渡って江戸人の台所をささえる
魚市場であった日本橋魚河岸もこのタイミングで築地に移っている。
今の日本橋と江戸橋の間、北河岸だけでは
いかにも狭く、こんなところで魚市場が営めていたのか
不思議ではあるが、先に書いたようにあと100mほど
東側まであったわけである。
まあ、それでも江戸期に既に百万都市となっていた
江戸の魚市場とすればいかにも手狭であったことは
想像できよう。
江戸橋を渡って昭和通り西側を歩く。
見えてきたのは、青い看板。
[そばよし]。
路麺、独立系立ち喰いそば、で、ある。
久しぶり。
この前、秋葉原の老舗路麺[二葉]へ行ったが、
この[そばよし]も小さな有名店といってよかろう。
鰹節問屋がやっている。もちろんここが魚河岸であった頃に
歴史をさかのぼれる店。
いやいや、その前に、シゴト、シゴト。
仕事を終わって、再び[そばよし]まで戻ってきた。
ここは路麺には珍しく、夜20時までやっている。
半端な時刻だが、にぎわっている。
小さな店。
入るとすぐ右に券売機。
なんにしようか。
路麺の定番、野菜かき揚げなどもむろんあるが、
魚系ということで、竹輪天にしよう。
奥の調理場へいって、食券を出し席に座って待つ。
呼ばれて、取りに行く。
竹輪は青海苔が入った磯部揚げ。
そばは細めで、かなりの腰。
茹で置きではないと思われる。
(時刻にもよろうが。)
鰹節問屋のつゆ。
久しぶりにきたが、そうそう、この味。
さすがにそれとわかる濃厚な出汁。
立ち喰いそばやのレベルは確実に越えている。
ただ、出汁が全面に出ているせいか、
藪、砂場など普通のそばやのつゆとは
出汁以外のあまみ、しょうゆなど、どこか違う感じがするのが
おもしろい。
しかし、これは最後まで飲み干さねばなるまい。
腹に染み渡る。
うまかった。
食べ終わり、丼をカウンターに返し、
ご馳走様ぁ〜と、出る。
この[そばよし]があるあたりは、昔の町名でいえば
按針(あんじん)町になる。
江戸初期のイギリス人、ウイリアム・アダムス、
三浦按針の屋敷があったことに由来する。
(三浦按針と魚河岸は関係ないが。)
この裏には、はんぺんの元祖[神茂]、中央通りには
[山本海苔]その他、折詰弁当の[弁松]など
数は多くはないが[そばよし]以外にも日本橋魚河岸の
記憶を受け継いでいる老舗もある。
ぶらぶら歩いてもおもしろい。
中央区日本橋本町1丁目1−7
03-3241-0884
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