引き続き、里芋とねぎのふくめ煮。
泥付きの、里芋。
これをどうするか、で、ある。
大きな問題である。
軽く泥を洗って包丁で厚めに皮をむく、
と、料理の本などには書いてある。
プロもおそらくそうであろう。
私は、たわしでこすって洗うことにしている。
芋を洗う、という慣用句がある。
プールなどが人が多くて、芋を洗うようだ、と。
芋を洗うのは、私の子供の頃はまだやっていた
記憶があるが、八百屋の店先で樽に水を張り
泥付きの里芋をぎっしり入れ、木の棒を二本入れ、
かき混ぜながら、洗う。
芋どうしがぶつかり合って、泥や表面の毛をとる。
(今は、ご存知の通り洗ってパック詰めになったものも売ってはいる。)
芋洗いで、余談なのであるが以前におもしろい歌舞伎芝居を
観たことがある。
「御摂勧進帳(ごひいきかんじんちょう)」というもの。
ご存知、弁慶が出てくる勧進帳なのだが、定番の勧進帳とは
別バージョンのもの。
この芝居、“芋洗い勧進帳”“芋洗い弁慶”などと呼ばれている。
勧進帳を暗誦して義経を逃がすのだが、この後“芋洗い”では
弁慶が関所の番士達と大立ち回りをし、番士の首をちぎっては投げ
ちぎっては投げ、、、巨大な樽にちぎった首を入れ、その樽の縁に弁慶は
仁王立ちになり、二本の棒で首を里芋に見立てて、洗う。
なかなかすごい舞台である。
詳しくは、上のリンクのページをご参照いただきたいが、
芋洗いには、実はもう一つの意味がある。
芋というのは以前は疱瘡(ほうそう=天然痘)ことを
指していたのである。
つまり“芋洗い”は疱瘡の病を治すために洗う、ということ。
以前は芋洗い(一口と書く)神社という名前の疱瘡除けの神社が
全国各地にあり、そこで水で洗って祈願をする習俗があったのである。
「芋洗い弁慶」は疱瘡除けという意味合いが込められた
芝居であったのである。
八百屋の店先での“芋洗い”がこうした呪術的な
疱瘡除けが意識されていたのかどうか。江戸期にはむろん、
明治あたりまではであれば芝居になっているくらいなので、
一般に知られていることではあったかもしれない。
閑話休題。
芋洗いをみならって、というわけでもないが、
包丁で厚くむいてしまうのは、もったいないように
思うので、たわしでこすって洗う。
包丁でむくよりも時間がかかってしまったが、、。
一つを1/4に切る。
ねぎは五分(1.5cm)切り。
鍋に先に芋を入れ、酒としょうゆ、水。
点火し、柔らかくなるまで煮る。
砂糖を入れてもよいのだろうが、からめの煮付けが好み。
ねぎは、里芋が煮えてから。
太いところから先に入れ、
時間差で、青いところも入れる。
ねぎをしょうゆのつゆに入れた時に、独特のにおいが出る。
駒形[どぜう]が営業中、店そばを通るとこのにおいがしてくるが、
堪らないものがある。
(駒形[どぜう]では、どぜうの丸鍋に山盛りのねぎをのせて煮ながら
食べる。どぜうを食べているのか、ねぎを食べているのか
わからないくらいのねぎの量ではある。)
酒の燗もつけねば。
火鉢はさすがにまだ早いのだが、鉄瓶を熱くする。
酒の燗をつけるのは、ケトルよりも薬缶。
薬缶よりもやっぱり鉄瓶であろう。
酒は菊正宗。
ねぎも煮えた。
器に盛る。
ねぎと里芋。
まったく、なんの変哲もない、ありふれた野菜の組み合わせであるが、
これが、うまい、のである。
また、からいしょうゆ味が辛口のキクマサに合うこと
筆舌に尽くしがたい。
まるで上品なものとは無縁であるが、こんなものが
江戸東京下町の味、なのであると思う。
そして、里芋のこと、日本人として
忘れないように、私も心がけねば。
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