断腸亭料理日記2015
3月16日(月)夜
さて。
栃木県から、東武のスペーシアで浅草まで帰ってきた。
多少早めなので、久しぶりに並木の[藪蕎麦」に寄ろうか。
実は、今日はこの前の[弁天山美家古寿司]
を覗いてみようかとも思ったのだが、月曜は定休であった。
それで、並木の[藪蕎麦]。
浅草の街も、2月のひところに比べると、中国人の観光客も
比較的落ち着いてる。
今日も雨がパラパラ。
格子を開けて入ると、テーブルは一杯で
入ってすぐ左の、座敷のお膳に案内される。
靴を脱いであぐらをかいて座る。
さて。
お酒だが、もうだいぶ暖かくなったので
今日は冷(ひや)にしようか。
肴は、冬の私のこの家での定番、天ぬきでよかろう。
冷酒と天ぬきというのもよいかもしれぬ。
お酒がきた。
ここは冷酒だと、グラスになる。
銘柄はいうまでもなく、店の奥に四斗樽が置かれている、
菊正宗の樽酒。
いけないけない。
のども乾いていたので、がぶがぶ呑んでしまう。
天ぬきもきた。
ふた付きの小ぶりの丼。
中は、濃いつゆに芝海老のかき揚げ。
もうなにもいうことがない。
これで菊正の樽酒が呑めるのは、幸せである。
むろん、他の蕎麦やではなく、浅草雷門前の
並木通りにある、藪蕎麦で、という限定がつくが。
毎度書いているがここは数年前に改築をしているが
内装も外装もまったく以前と変わっていないように見える。
ビルではなく一軒家。
硝子格子で開けると三和土(たたき)がありテーブル席。
畳の小上がりにお膳が六脚ほど。
壁や柱も気持ちよいくらいに装飾はない。
これらもおそらくそのまま。
黙阿弥先生作の歌舞伎「天衣紛上野初花(くもにまごう
うえののはつはな)」に入谷蕎麦屋の場というのがある。
これは実は明治になってからの作品なのであるが、
文明開化に浮かれている世の中に、これが江戸の美学である
として黙阿弥翁がものした、という評価もある。
私の観たのは菊五郎が出ていたものだが、なんの装飾もない、
爺さんと婆さんがやっている入谷田圃にある蕎麦やで
菊五郎扮する直侍がほっかぶりをして、素足にわら草履、
夜、雪がちらつくなかを花道から登場し、くだんの蕎麦やに入る。
(台詞は定かではないが、酒を頼み、かけそばを頼んだか。)
これが江戸の美学。
べら棒に、よい。
この並木藪蕎麦は、どうもこの芝居を思い出すのである。
しかし、この家の創業は、実に江戸でもなく、
明治でもなく、大正の二年。
どんなに時代変わり、百年たっても、二百年たっても
浅草の藪蕎麦は変わる必要がない。
この家自身がそう表明しているのである。
これも浅草人の美学といってよろしかろう。
江戸を再現したテーマパークの蕎麦やではない。
生きている浅草の蕎麦やなのである。
天ぬきで一合を呑み、ざるを一枚。
わさびを箸の先につけ、蕎麦をつまみ、つゆにつけ、
一気に手繰りこむ。
これも、幸せ。
腹に収めて、お勘定。
御馳走様でした。
03-3841-1340
台東区雷門2丁目11−9
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