6月19日(金)夜
金曜日。
6時台にオフィスを出て、帰る。
今日はなにを食べようか。
少し前から、なぜだか芝海老のから揚げが
食べたかった。
御徒町の魚や吉池に寄ろうか。
あるかもしれない。
吉池で見つけるとよく買っている。
あれも、なにもせずに揚げて塩をふっただけであるが、
うまい。
上野御徒町で降りて吉池に向かう。
今日は一日、降ったりやんだりだが、時折強く降る雨。
この時刻は比較的強い。
足早に吉池に向かう。
吉池にきてみると、この時刻であれば、
まだ魚の数も多い。
まずは、目当ての、芝海老は?。
お、あった、あった。
いつもよりも小さなパック。
270円の50円引き。
遅い時刻で値引きにはなっているが、
定価は上がっているようである。
二つ買おう。
それから。
「雨の日サービス」というのでまた、めかぶが
1パック、200円程度と安かったのでこれも。
錦糸町行の都バスで帰宅。
芝海老。
こんな感じである。
佐賀産。おそらく有明海であろう。
芝海老というのは、ご存知であろうか、
元来は、江戸前のものが、ホンモノというのも
ヘンな言い方であるが、元祖というような言い方が
できるかもしれない。
芝海老の芝は、東京の港区の芝。
芝で獲れた海老なので、芝海老。
(そういうことなので、おそらく全国にはそれぞれ
もともとは別の呼び名があったのであろう。)
車海老(さいまき海老)も江戸前を代表する海老だが、
並んで、江戸人の食卓には欠くことができない海老であった。
もっとも一般的なのはかき揚げの天ぷらであろう。
芝海老は砂地に生息しており、今となっては
ご存知の方も少なくなったかもしれぬが、江戸・東京湾は
基本遠浅。どこも砂地で、芝も(人情噺のタイトルになっているが)
砂浜で、芝浜。
この砂地で芝海老がよく獲れた。
また、例えば、大川(隅田川)の河口。
霊岸嶋と呼ばれていたが、今の新川の先、以前は
ここが江戸のメインの港であったわけである。
当時は江戸湊(えどみなと)と呼ばれていて、築地側に
文字通り「湊」という町名も残っている。
実はここも大量の砂があり、芝海老がよく獲れ、
対岸の佃島の漁師が盛んに漁をした。
(江戸名物の白魚もここでよく獲れたわけである。)
余談だが、お気付きかもわからぬが、港なのに砂が多いというのは
致命的で、江戸時代当時は浚渫(しゅんせつ)の技術も予算もなく、
時代が経つほど、川底が上がり、大型の船は入港できなくなっていった。
それで、多くは品川沖に停泊して、はしけで荷を運んでいたのである。
閑話休題。
これもまた、なにもしない。
海老を洗って、揚げ鍋に揚げ油を用意。
高温に上げ、投入。
かなりはねるので、注意が必要。
いい色になればOK。
(音が替わるので、わかりやすい。)
塩をふって、皿にのせる。
めかぶも盛り付け、ぽん酢しょうゆをかける。
芝海老、から揚げ。
むろん、殻も頭も、バリバリと食べられる。
小さな海老や蟹はどれでも、から揚げでうまい。
海老であれば、川海老、富山湾の白海老、蟹であれば
さわがになどもうまいのだが、私は、この芝海老が
最もうまいのではないか、と、思っている。
殻や頭も堅すぎず食べやすい。むろん香ばしい。
身は、むけば、かき揚げ、その他色々なものに使うが
クセがなくプリプリの食感で、うまみが濃く、万能である。
いつも芝海老が店頭にあれば、迷わず買って、
全部、そのまま揚げてしまう。
むくのが面倒なのはもちろんだが、
それ以上に、このから揚げが、芝海老の最も
うまい食べ方なのではないかとさえ、思う。
(かき揚げよりも。)
まさに、いくらでも食べられる。
江戸の頃は、こうしたから揚げというのは
やられていたのであろうか。
食用の油は製油技術が発達しておらず、基本は天ぷらに使う、
胡麻油であったと聞く。それで、家庭ではから揚げはできず
(天ぷらもそうだろうが。)塩茹でが普通の食べ方だったのでなかろうか。
(塩茹でであれば、頭からバリバリというわけにもいくまい。)
ともあれ。
芝海老から揚げ、昨日のきぬかつぎ同様、
料理ともいえぬものだが、これがうまい。
不思議なものである。
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