7月4日(土)午後
さて。
引き続き、土曜日。
午後、転寝(うたたね)から起きて、おろしぶっかけを
食べところまで。
急に、買い物に出なければならなくなった。
なにかというと家の無線LANが急につながらなくなって
しまったのである。
無線LANのモデムはもう、3〜4年は使っているか。
買い替えてもよい頃かもしれない。
もはや、ネットは生活の一部で、つながらないというのは
TVが視られないのと同様の不便さを感じるようになっている。
上野のヨドバシへ行こう。
雨がポツポツ。
透明のビニール傘を差して、自転車。
ヨドバシで目的のものを買う。
さて。
出てきたついでに、そばでも食って帰ろうか。
池の端[藪蕎麦]?。
夜の営業をしなくなってしばらくたつが、午後の中途半端な
時刻はやっていたっけ。
池之端仲町の通りに入る。
自転車でずっと奥まできて、、!。
やはりやっていない。
完全に、ランチタイムの営業のみになってしまったか。
残念である。
と、なると、今、前を通ってきた[蓮玉庵]。
やっていたようである。
上野池之端[蓮玉庵]の創業は安政6年(1860年)。
対して、池の端[藪蕎麦]は昭和29年(1954年)、戦後である。
江戸創業の蕎麦やというのは都内でも数えるほどしかない。
江戸の地図。
江戸の頃は、今の仲町通りではなく、うなぎやの[伊豆栄]の並び、
不忍池側にあったようである。
森鴎外、久保田万太郎、斉藤茂吉、などなど、明治、大正の
作家諸氏にも愛されていた。
このメンツ、比較的近所に住んでいたと思われる。
鴎外は千駄木の団子坂が有名だが、今はホテルになっている
池之端、上野動物園の下あたりに住んでいたこともあった。
久保万先生は浅草の生まれ育ち。大歌人茂吉翁は拙亭近所の三筋に
住まわれていたことがある。
近所とはいえ、当時の名士が多く足を運んでいたというのは、
やはりそうとう有名な店であったのが想像できよう。
ともあれ。
[藪蕎麦]が開いていれば、あちらへ行くことが
多かったので、こちらへくるのは久方ぶりである。
格子を開けて入る。
半端な時刻で広い店内に先客は年配の男性二人組のみ。
テーブルの一つに座る。
若い眼鏡をかけたおねえさん。
お“姐”さんと漢字にするのが不似合な真面目そうな(?)
お嬢さんである。
品書きを見て、月見いもに、お酒を冷で。
ここの酒は新潟の菊水辛口。
きた。
お通しはごぼうを薄く切ったきんぴら。
月見の方は、つゆは別で、お好みで、とのこと。
ちょっと味見をして、つゆは全部入れる。
なかなかうまいとろろ、で、ある。
これならば、とろろそばもよかったか、などと思いつつ、
呑み、かつ、すする。
とろろで呑むというのは、あまり聞かないような気もするのだが、
私は、かなり好みである。
呑み終る頃を目がけて、せいろを頼む。
(そう。ここも、注文を通す時に、語尾を伸ばしていたっけ。)
せいろ
もりの量も、つゆの濃さも、ノーマルであろう。
ご馳走様でした。
食べ終わり、勘定をして出る。
私の場合、むろんそばは好きなのだが、世のそば好き諸兄のように
香りが、のど越しが、といったことはいわない。
どっちでもよいとまではいわないが、ある程度以上であれば、
それで満足なのである。
(下町風の濃いつゆ、というのはやはり譲れないが。)
それよりも、突き詰めると、老舗そばやの空間が好きなのである。
注文を通す声であったり、店内の設(しつら)えであったり。
逆にうまいそばを喰わせるのならば、態度がでかかろうが、
居心地がわるかろうが、問題ではないとは、どうしても
思えない。(趣味そばのことであるが。)
老舗ならば、態度がでかくとも我慢できるのかといえば、
そうかもしれぬ。
老舗そばやには、鮨ややうなぎや、天ぷらやともまた違う、
気取らない、でもなにか背筋の伸びた、粋なのか、、、
昔の江戸東京の、それも男達がいた香り、が、ごくわずかながら
残っている。
結局私は、それに捜しに行っているのである。
03-3835-1594
台東区上野2-8-7
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