断腸亭料理日記2015

2015年落語のこと その4

引き続いて、落語に見られる民俗的なことについて
書いてみている。

今日は、民間信仰のようなものについて。

まず、神棚のこと。
神棚というのは、以前は随分と普及をしていたわけである。

落語に出てくる神棚というと「富久」である。

お話し自体、下げを含めて、神棚がキーになっているので、
枕でも触れられる。

志ん生師、文楽師なども「富久」の中では神棚のことを
大神宮様または、大神宮様のお宮といっている。
今は一般に神棚といっていると思うが、いつ頃までのことなのか、
よくわからないのだが、大神宮様というのは伊勢神宮のことになる。

暮れが近くなると「ねぎの枯れっ葉みたいな袴はいて
日和下駄履いて、噺家が迷子になったような格好で、
どこの家にでも入って行って、・・え〜、大神宮様のお祓い、
大神宮様のお祓い、といってお祓いをしてまわって」
(志ん生「富久」)いた。(志ん生師は「お札配り」などと
呼んでいた。)

先に書いたように、神棚というのは地域や家にもよるのであろうが、
江戸では伊勢神宮を祀り、毎年暮れが近くなると、
伊勢神宮のお札を配りながら、お祓いをする人がいた、
ということである。
(むろんこの時にいくばくかのお金を包むのであろう。)

このお札配りといっているのは御師(おしorおんし)といって、
伊勢神宮から派遣されて全国にお札を配ったり、先の神棚(大神宮棚)を
広めてまわっていたようである。
それが、江戸で広まっていたということであろう。

これが暮れ。

次は節分である。節分だと厄払いというのがある。

文字通り「厄払い」という噺で文楽師が正月の
噺としてよく演っていた。

節分の晩に家々をまわり

「あーらめでたいなめでたいな、今晩今宵のご祝儀に、
めでたきことにて払おうなら、まず一夜明ければ元朝の、
門(かど)に松竹、注連(しめ)飾り、
床に橙鏡餅、蓬莱山に舞い遊ぶ、、、、」

なんという文句を並べ、節分の豆とご祝儀をもらう。

噺の中では格好、風体は細かく触れられていないのだが、
おそらく三河万歳のようなもので、なんらか
決まった格好をしていたのではなかろうか。

三河万歳、正月の獅子舞ように、家々の門(かど)に立ち、
芸能を披露し、お金をもらう、門付(かどづけ)という
ものの一種ということになろう。

獅子舞なども江戸・東京にもあった。
志ん生師の「三軒長屋」には獅子舞のエピソードが出てくる。
(噺では鳶頭がやっているので、専門職によるいわゆる門付には
ならないかもしれない。)

最初の大神宮様のお祓い(お札配り)もそうだが、
こういう門付芸能がいつ頃まで東京で見られたのであろうか。

江戸の節季の風物詩としてあったものなのだと思うが、
こういうこともあまり一般には注目されず、
忘れ去られていくものであるが、落語にはちゃんと残っている。

もう一つ。

「願人坊主」というのが落語にもひょいと顔を出すことがある。

これはガンニンボウズ、と読む。

昨日も例に引いた「黄金餅」の冒頭に死んでしまう
西念という坊さんも、志ん生版では言葉としては出てこないが
内容は願人坊主である。(「らくだ」の下げにも登場する。)

噺の中では坊主の格好をした乞食、などと説明される。

僧形ではあるが、実際には様々な芸能もしたらしいので、
やはり門付に入れてよいようである。
(願人坊主は江戸に定住し、季節には関係ないと思われる。)

「黄金餅」の貧乏長屋は下谷山崎町ということになっている。

願人坊主というのは同じ長屋にかたまって住んでおり、
この集団が江戸にはいくつかあったらしいのだが、その一つが
下谷山崎町であったようである。

(「明治時代の願人坊主」wikipediaより)

乞食坊主なのだが、実際にちゃんとした彼らを管理する寺に
属しており、上納金というのかお金も納めており、
寺社奉行の支配を受けていたというから、ただの乞食
とはまた違ったもの(ある種の僧兼芸能者身分というのか)
であったようである。

願人坊主は研究者からは身分的周縁などという言い方を
されているようだが、貧民という位置付けで
ある程度固定化されていた身分集団ということが
できるようである。

彼らは明治になり「願人坊主」という身分というのか職業は禁止され
より零落したともいう。(貧民ではあるが職としてオーソライズされ
暮らしができたということだったのであろう。)
いわゆるスラムというのが戦後まで東京にはいくつかあったが、
それらの起源にもなっているといってよいのかもしれない。

落語というものは庶民の芸能でありそれもどちらかといえば、下の方。
こういう周縁にいる人々も顔を出しているのである。
(ちなみに歌舞伎で、故勘三郎が当たり役にしていた「法界坊」は
願人坊主のようである。歌舞伎もむろん庶民の芸能である。)

もう一つ。
近いのか、近くないのか、微妙なもの。

六十六部(ただ六部ともいう)。
「花見の仇討」の重要な役回りとして出てくる。
ご存知であろうか。

歌舞伎などを見ていても出てくるので知っている人も
あるかもしれない。

基本、巡礼である。
巡礼は落語にも出てくるのは親子だったりして、
「巡礼にご報謝を〜」といって、寄進を乞うという姿が思い浮かぶ。

六十六部は同じように白装束だが、背中に仏像を入れた
厨子(木の箱)を背負った人。

ものの本によれば「法華経を66回書写して、一部ずつを
66か所の霊場に納めて歩いた巡礼者」ということである。

そして、やっぱり、金銭の寄進を乞う。
ただこの人達は、全国を旅してまわる。

四国などでは巡礼をする人は今も多数あろうが、
東京などでは、まあ、見ることはない。

落語に登場するということは、身近にこういう人が
江戸にも日常的にいたということである。

 

もう少し、つづく。


 


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