断腸亭料理日記2015

2015年落語のこと その1

さて。

このところあまり書いていなかったので
落語のことを少しまとめて書いてみたい。

個人的には談志家元が亡くなってから
東京の落語界はやっぱり、影が薄くなっている
ように見えるのだが、いかがなものであろうか。

私など正月のNHKの好例、寄席中継を視ていて、落語協会の
会長が柳亭市馬師に昨年なっていたことを始めて知った
くらいである。
あまりニュースにもならなかったのではあるまいか。




あるいは、その市馬師の前の会長である
小三治師が昨年、落語家として3人目の人間国宝に
なっていたこと。
このことについては、順当ということになるのであろうが
やはりあまり大々的には報道されなかったのでは
あるまいか。
(小三治師が取材嫌いということもあるようだが。
しかし、芸人が取材嫌いというのは、ヤンヌルカナ。)

ただ一方で、落語家は減っているのかと思えば
落語協会、落語芸術協会合で600人。
数字を追いかけているわけではないが
むしろ多少増えているくらいなのではあるまいか。

談志家元も若い頃からいっていたことだが、
この東京だけで600人もいる落語家が食えているというのが
不思議なことではある。

寄席の数は限られており、自分で落語会を開かなければ
落語をする機会はそうそうはない。
落語をしなくとも、落語家であるという看板で
司会やら営業やらで、依然として食えている、ということ
なのであろうか。

2015年東京の落語界はどこへいくのか。

戦後、圓生、文楽、志ん生の持ち味の違う大看板三人が
東京の落語界を盛り上げ、ある意味最後の
黄金期を作った。

この三師匠には、江戸の風があった。

そしてその頃、昭和30年代までは東京下町には
まだ長屋があり、住んでいる人々の間にも
江戸の風は吹いていたといってよろしかろう。

そしてこの三師は亡くなったが、小さん師、
志ん朝師、談志師なども加わって江戸の風は
曲がりなりにも感じられていた。

小さん師、志ん朝師が亡くなり、そして談志師も
先年冥府へ旅立ち、完全に江戸の風も終わったのであろう。

明治になってからもう150年にならんとしている。
ある意味、もう仕方のないこと、なのであろうと
一方では思わなくもない。

能や狂言のように博物館へ行ってしまった芸能に
落語もなってはいけない、伝統を現代に、と
談志家元はいっていた。

落語は、江戸の風を持ちながら、現代の観客にも
通じる、客を呼べるものでなければならない。

これは歌舞伎も同じ問題をずっと持ち続けているだろう。
やはり先年亡くなった勘三郎の平成中村座などは、
これに挑戦する試みで、大成功していたと私は思う。

やはり、できるのである。
いや、むしろ、現代の観客は江戸を求めていると、
私には思える。

会長の市馬師が先の正月の寄席中継で、
「一目上がり」という噺をしていた。

毎度お馴染みの八五郎がご隠居の家にきて、
床の間の掛け軸の絵を褒める。

日本画の場合、画賛(がさん)というらしいが、
「結構な賛ですね」と褒めるんだと教えられる。
(正確には見る人が絵に書き加えた褒め言葉が
画賛ということになるようで、作者自身が書いた場合
自画自賛というようである。)

次の家に行って、結構なサンデスネ、とやったら、
その掛け軸は漢詩で、結構な詩(し)ですね、と褒めるんだ
とまた直される。

次の家の掛け軸は、一休禅師の絵と文で、
これは、結構な悟(ご)ですね、と褒めるんだ、
とまた教えられる。

ハチ公は、これは一目ずつ上がっているんだ。
じゃあ、次は六だ、と、次の家で言ってみると、
ばか、これは七福神の絵だ。

まあ、こんな話。

賛にしても、悟にしても、多少無理があるし、
たいていの人はわからない。この時点で思考停止してしまう
のではなかろうか。少なくとも私が以前に初めてこの話しを
聞いた時には、そうであった。

市馬師は柳派正統。うまい。
そして、軽みもあり、よい噺家であると思う。

会長を若返らせるという意図で、
市馬師というのは頷ける。

「一目上がり」は、とても上手く演じていたし、笑いも
あったようには思うのだが、いかにも地味で難しい。
私などから見ても、通好みで、今の正月のTVで
演る噺には思えない。

観客の方に、江戸の風がない以上、そこに
導くためには、そうとうの工夫が必要なのであろう。

ただ正統派というだけでは、今、新しい観客は
つかめなかろう。

もちろん、そういう噺家もむろん必要だし、
落語家すべてがそうであればなおよかろう。

ただそれだけでは逆に、博物館へ行くだけである。

どうも最近、小さく固まろうとしているというのか、
発信力というのであろうか、爆発力というのであろうか、
そういう落語界の外への魅力あるアプローチが
目立たないように思うのである。
片足を博物館に突っ込んでいるように思える。

今年あたり、正念場なのではなかろうか。

東京の落語界、落語協会、芸術協会、
立川流、圓楽一門その他、含めて、どんな形にせよ、
江戸の風、江戸落語の風を吹かせてほしいと思うのである。


落語のこと、明日も続く。



 

 


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