断腸亭料理日記2015

浅草・弁天山・美家古寿司 その3

引き続き、浅草の[弁天山美家古寿司]。


昨日は、にぎりの海老まで。



次は、穴子。


沢煮です、といって出された。

沢煮というのは和食では薄味で野菜などを
煮たものをいうそうな。

煮穴子というのはしょうゆの色をつけて
柔らかく煮る方が多いが、色を付けずに煮る
というのが古いのか、新しいのか。
わからぬが、老舗でもこうするところはある。
(今思い出すのは同じく浅草の[松波]か。)

色はつかぬが、甘め。

次は。

煮いか。


この姿、美しいではないか。

煮いかは普通、やりいかなのだが、種類を聞くのを
忘れてしまった。

江戸前鮨では生のいかは、すみいかと決まっている。

ただ、いかを生で使うようになったのは
そう古いことではないと聞いたことがある。
(いつ頃だったか忘れてしまった。
大正?古くても明治中頃以降であろう。)

普通いかというのは火を通すと硬くなるのだが、
やりいかだけは柔らかいまま。

やりいかに火を通してにぎるというのは
現代においても理にかなっていると思われる。

煮いかももう、あまりにぎられなくなったものである。

地味な種であるが、やはりこれも江戸前にぎりの
大切な一つである。
この家で出している意味は小さくないだろう。

次は。


そう、ヅケ、で、ある。

まぐろのしょうゆ漬けなので、ヅケ。

ほとんどの方がご存知であろう。

ヅケは昔からの江戸前仕事としては、不思議なことに、
今の東京の鮨やでも置いているところは少なくない。

むろん、冷蔵技術がない頃に日持ちをさせる
ためにしょうゆに漬けたものである。
(しょうゆだけではからくなりすぎるので
酒で割って煮切った、ニキリに漬ける。)

表面は霜降りに加熱してある。
これは漬かりすぎを防ぐのと、色をわるくしないという
工夫であろう。

ヅケにするのは赤身のまぐろで、
不思議とねっとりとしたあまみを感じられるようになり
ものによっては、生の赤身よりもうまくなることがある。

やはり、これは残ってしかるべき種であろう。

最後は玉子。


今の厚焼きではなく、薄いもの。
これも、比較的用意しているところは多い。

玉子が高価であった頃、すり身などの混ぜものをして
薄く焼いたのである。
むろん今は、手間も費用もこちらの方がかかる。

以上。

確かに、完全に生のものは一つもなかった。
あえていえば、鯛の湯引き一つが微妙なところか。

ご馳走様でした。

おいしかったです。

20代の頃の若僧ではこんな寛いでつまむことは
できなかった。
我々も多少は成長をしたのであろう。
また、この店も、20年の間に変わっていると思われる。

つまみもうまかった。

こんな感じならば、もっと前にきてみるので
あった。

ともあれ。

創業の慶応2年から今年でなんと149年。

五代目の親方がいて、六代目に受け継がれている。

浅草には江戸創業の小さな老舗というのが
他にもあるが跡継ぎというのは問題なのであろう。

とにもかくにも、六代目ができてよかった。

繰り返すが、にぎりの鮨は江戸生まれ、

東京が世界に誇る伝統食文化である。

銀座新橋で、最高の種を使い、それだけではなく、
伝統を現代にと技を磨き、競っている店もある。

しかし、一方で“形”を残すこともまた重要なこと。
この小さな店の五代目の現親方はそれを矜持として
がんばってこられた。

六代目の肩に、これからはかかってくるということ。

これからはウイークデーにも気軽にこよう。

さて。

ちょいと、おまけ。

店の中に貼り紙があった。
「弁天山美家古」のまかないの稲荷寿司。

伝法院通りを入ったところの右側にある
[栃木屋」という豆腐やに売っているというので
帰り道、寄ってみた。


ちなみにこの[栃木屋]はこの先の角にある、
洋食の名店[大宮]の髭のご主人の実家。

一つ買って帰ったのだが、、、

残念ながら、内儀(かみ)さんに弁当に持っていかれ、
味は不明、で、ある。



弁天山美家古寿司



 


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