断腸亭料理日記2014
さて。
日曜日。
今日は内儀(かみ)さんのリクエストで鮨ということで
久しぶりに「新ばし しみづ」
に。
昼頃、内儀(かみ)さんにTELを入れさせ予約。
18:45に、ということになった。
日記を見直すと、今年の3月に行っていた。
最近は9月に、新いかと小肌を自分でにぎりにしていたりして
鮨への欲求のようなものは、なんとなく消化していた
ような感じである。
6時すぎ、例によって着物に着替えて出掛ける。
今日はもう、冬物。
だいぶ涼しくなったので、いい季節、で、ある。
着物というのは、なかなか不便なもので、
夏は暑く、冬は寒い。
きちんとした格好をしなければ、と、考えると、
やはり羽織を着る。
真夏の30℃を越えている炎天下でも、襦袢を着て、
一重の紗(しゃ)の着物、その上に絽の薄いものでも羽織を着る。
これはもう、べら棒に暑い。
また、真冬。
着物をいうのは、袖がぴったりしておらず、袂(たもと)がゆるく開いている。
さらに足元も、長い股引(ももひき)でも履けばよいが、やはり、
格好がわるいので、ステテコのようなものにすると、足が出て、風が入り、寒い。
まあ、このくらいがちょうどよい季節。
雪駄をチャラチャラ鳴らして稲荷町から銀座線に乗って、新橋まで。
SL前の広場から烏森神社への細い路地に入り、
神社の前を左に曲がる。
再開発なのか、その先が更地(さらち)になっている。
ごちゃごちゃとした小さな店がある一画だが、
ビルにでもなってしまうのか。
更地の手前の路地をさらに右。
[しみづ]は左側。
格子は閉まっており、開けて入る。
親方は丸顔で短髪。にこやかのようだが、意外に目が鋭い。
会釈をし、示されたカウンター手前に座る。
先客は奥に一組と左隣に一組。
いつもの通り、ビールをもらう。
ここはサッポロのラガーで、大ぶりで薄口のグラス。
お通しをつまみながら、ビールを呑む。
グラスが大きいので、どんどんとビールが進む。
おまかせで、つまみ。
まずは、鯛、から。
厚めに切ったもの。
塩も出されるので、しょうゆと塩、二切れを両方で食べる。
あまみがあって、うまい。
次に、小皿で出されたもの。
食べてみると、牡蠣を細かく切ったものであった。
前で仕事をしている若い衆に聞いてみると、塩ぐらいしか入っていない
という。
牡蠣を切るというのはあまり見たことがないが、
なるほど、別段、丸ごと食べなくてもなんら問題はない。
次は、鰹。
もどり鰹であるが、そうそう強い脂ではない。
今年はこんな感じか。さっぱりとして、うまい。
次は、鰤(ぶり)の薄く切り身にしたものを、
軽く炙ったもの。
塩だけであろうか、脂が随分とある。
この季節の鰤は、北海道のものであろうか。
最近は、釧路などでもよく獲れて、ブランド化しつつあるようである。
にぎりにしない理由はなんであろうか。
そういえば、ここではあまり鰤はにぎらないような
気がする。やはり本来の江戸前ではあまり使わないから
で、あろうか。
貝二種、鮑、鳥貝。
ここからにぎり。
一合だけ冷で酒ももらう。
最初は、きす。
赤酢を使ったちょっと色のついた酢飯に、
酢で〆たきすが、うまい。
おまかせの場合、ここのにぎりの最初は、きす、
に、決まっている。
きす、と、いうのは、東京の鮨やでも出すところは、
ごく限られているのではなかろうか。
そう、この系統だけ。
この新ばし[しみづ]は、新橋[鶴八]、神保町[鶴八]、
柳橋[美家古鮨]という系統になる。
他にはやはり柳橋[美家古]系統の湯島天神下[一心]にも
きすはいつもあったと思う。
きすというのは、江戸前天ぷらでは定番中の定番であるが、
今ではにぎりの鮨には使わない。
天ぷらにするものは、〆てもおそらく生ぐさくて
鮨にはならなかろう。
鮨にするにはそのための鮮度や処理の仕方があるのであろう。
これは江戸、文政期に登場したにぎり鮨の元祖という、
両国の「華屋与兵衛」の鮨の絵といわれているもの。
この左側下から二ツ目のものが「きす」だと思われる。
やはり、古くは一般に使われていた種なのであろう。
つづく。
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