断腸亭料理日記2014
7月26日(土)夜
今日は昨日のつづき。
隅田川の花火大会にちなんで、その昔の両国の
川開き(花火大会)が舞台の落語「たがや」の件。
で、落語「たがや」で推理したこと。
(やっぱり、あくまで推理なのである。)
下げが「たぁ〜〜がやぁ〜〜〜」であるということ。
これはむろん花火のほめ言葉「たぁまやぁ〜〜」にかけている。
玉屋という花火やは、1843年(天保14年) に火事を出し、
江戸所払(ところばらい)になり、以後鍵屋のみとなっている。
落語「たがや」では必ず噺の冒頭、枕で次の狂歌に触れる。
橋の上 玉屋玉屋の声ばかり なぜに鍵屋といわぬ情 ( 錠 ) なし
玉屋がお取り潰しになり、それを背景にこの狂歌があることを話し、
また、これは、下げへの複線にもなっている。
今ではもう忘れ去られているが、花火のほめ言葉といえば
「たぁ〜〜まやぁ〜〜〜〜」というのは私の子供の頃には
それこそ子供でも知っていたことであった。
しかし、実際には玉屋は天保の頃には既にない。
では、それでもなぜ、玉屋、なのか?。
落語家は、滅びてしまった、玉屋への江戸っ子の
判官贔屓である、と、説明する。
玉屋の創業は1808 年 (文化5年)。
落語「たがや」はこれ以降の作であることは間違いない。
問題は、玉屋お取り潰しの、後なのか前なのか。
はたまた明治になってから、なのか。
落語「たがや」は作品の構成を考えると
弱い町人の"たがや“が、追い詰められて
9回裏の逆転ホームランで、武士をやっつける、
ここがポイントである。
この噺を聞いている庶民は
この勧善懲悪に喝采を送る。
構成上、これが最もわかりやすい。
誰が考えてもそうである。
よって、談志家元の指摘通り
明治の作か、江戸期にあったとしても、明治以降に改作されて
現代に伝わっている、と、考えるのが自然であろう。
では、江戸なのか、明治なのか
ここに議論は行き着く。
談志家元のように“たがや"の
首を飛ばす噺として成立したのか?。
これである。
そんな噺を江戸の町人が聞きたかったのか?、である。
意外かもしれぬが、私は、それもあり、
なのではないか、と思うのである。
別段、勧善懲悪ばかりが、落語ではない。
むしろ、単純な勧善懲悪が好まれるようになったのは
明治に入ってからではないか、と私は考える。
黙阿弥翁の歌舞伎「三人吉三」など幕末近い頃の作品は
勧善懲悪どころか、近親相姦でも、親殺しでも
なんでもあり、である。
"たがや“の首を飛ばす落語「たがや」が
人気があったかどうかはわからぬが、
ああ、やっぱり、そううまいことばかりはないか、、
と、これはこれで、味はある噺だと思われる。
私は、どうも玉屋がお取り潰しになった天保の頃、
というのがどうも気になる、のである。
意外に、かの狂歌、橋の上〜、がもとで
この噺ができたのではないか、と推理したのである。
玉屋のお取り潰しを、可哀想と思った江戸の人々がいた。
つまり、この噺は下げから作ったのではないか、
と、思うのである。
玉屋→たがや。
そして、前を拵(こしら)えた。
“たがや”はどうでもよくって、玉屋。
天保の頃、江戸中に寄席は200以上も
あり、かの水野忠邦の天保の改革で、相当数が
閉めさせられている。
天保期は、ある意味、江戸期の落語ブームの一時代であった、
といってもよいのではなかろうか。
この時期に、玉屋がお取り潰しになり、
まさに、タイムリーに、この噺が作られた。
なんとなく、そんな気がしている、のである。
まあ、勧善懲悪でもなく、下げから作ったのであれば、
無責任といえば無責任な噺、というような気もするが、
この頃の“噺”は、意外にそんなものであったのかもしれない。
やっぱり、勧善懲悪の落語など、落語らしくない。
“たがや”の首をなんの衒いもなく、すっ飛ばす。
これこそ江戸落語。いかがであろうか。
と、いうことで、断腸亭の2014年の隅田川花火大会であった。
これだけではお叱りをこうむるか?!。
拙亭で、隅田川花火大会といえば、内儀(かみ)さんが
いつも買ってくる、天ぷらや、蔵前[いせや」の天サンド。
天ぷらのサンドイッチ。
意外に、これがいける。
もう一つ、花火。
動画も。
お粗末。
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