断腸亭料理日記2014

2月花形歌舞伎 

通し狂言 青砥稿花紅彩画

白浪五人男 その3

2月11日(火)祝日

引き続き、二月の歌舞伎、夜の部「白波五人男」の通し。

通しでない場合は、序幕は演られない。

実際のところ、この芝居の見所は前回書いた弁天小僧の
「しらざぁいって、聞かせやしょう」の名ゼリフのある、
二幕目の浜松屋の場と、稲瀬川勢揃いの場ということになる。

“通し”でない場合この二場と大詰の立ち回りを演る。

ただし、筋を押さえるにはその他の幕もやはり、必要であろう。

そして、毎度書いている通り、それ以上に、作品全体がわからなければ、
初めて観る人間は、いいもわるいも判断ができない。
ただ、実際には黙阿弥の原作はもっと長かったともいう。

今回、通しを観た収穫は、むろん七五調の名ゼリフや
まるで浮世絵のようなと評される、美しく、粋な舞台を
観られたのは第一なのだが、やはり、作品の全体像が多少わかった
ということである。

日本駄右衛門という盗賊の親分とその四人の子分の話し。

基本のお話は、弁天小僧菊之助などが日本駄右衛門の
子分になっていく。また、とある呉服屋へゆすりに入ったりする。
こんな場面が描かれる。

そして最後には、追手に追われて、、、ということになる。

この盗賊のポイントはやはり、
日本駄右衛門の名乗りのセリフにあるが
「盗みはすれど非道はせず。」

これである。

黙阿弥の芝居にもなっているし、落語、講談にもなっている
鼠小僧などもそうである。

我が国の盗賊の類型といってよかろう。

ここで歌舞伎とは離れるが、気が付いたことがあった。

池波正太郎ファンの方であれば、思い出すものが
あるのではなかろうか。

「鬼平犯科帳」になん度も出てくる、本格の盗賊の三か条。
殺さず、おかさず、貧しき者からは盗まず。
まさに「盗みはすれど非道はせず。」ではないか。

また「鬼平」ではその盗賊の生い立ちから、
いかにして盗賊になったのかというのが意外に
細かく描かれている。

身なし子で、あるいは親に捨てられ、、といったもの。

最初に弁天小僧の「知らざぁいって、聞かせやしょう。」
のセリフを書き出したが、これも

「以前をいやぁ江ノ島で、年季(ねんき)勤めの稚児(ちご)が淵」

と生い立ちを語り、盗人(ぬすっと)の道へ入っていく過程を話している。

余談だが、「鬼平」は盗賊だけの話しではなく、
捕まえる側の火盗改めとその長官の長谷川平蔵は妾腹の子で、義母に疎まれた
という生い立ちなども描いているが、盗賊を描いた作品とすれば
このあたりの我が国の盗賊ものの類型を踏襲しているといってよいのだろう。

また逆に、この「白波五人男」のお話としての全体像は
今はカットされているが生い立ち、仲間になる過程などなども
もっと丁寧に描かれていたのではなかろうか。

池波先生も黙阿弥翁も基本、そのテーマは、
罪を憎んでい人を憎まず、の性善説である。
(これを描くには生い立ちは欠かせない。)

さて、この芝居の最大の見どころの「稲瀬川勢揃の場」。

追手に追われて五人が土手の上に並ぶ。


文久2年 (1862年) 江戸市村座 豊国画

日本駄右衛門 三代目関三十郎、赤星十三郎 初代岩井粂三郎、
南郷力丸 四代目中村芝翫、忠信利平 初代河原崎権十郎、
弁天小僧菊之助 十三代目市村羽左衛門

この豊国の画は文久2年、初演時。

揃いなのだがそれぞれ違うモチーフの柄の入った着物。

“志ら奈み”と書かれた傘を肩に担いでいる。
(この傘も実によい。この傘、欲しい。売ってないかしら。)

花道から五人が登場し、並ぶ。

この場面も、まさに絵のよう。

一くさりあって、本舞台(ほんぶたい)土手の上に勢揃い。

まあ実際に、追手に追われていたら、こんな揃いの着物を着て、
のんきに傘など担いでいるわけがないが、そこはお芝居。
まさに美しく、粋であれば、よい。

ここで、右端の頭の日本駄右衛門から順に名乗りを挙げる。

日本駄右衛門、

「問われて名乗るも おこがましいが」。

で始まる名乗りの長ゼリフ。

歌舞伎ではこうしたセリフをツラネというらしいが、
これも皆さん一度は聞いたことがあるセリフであろう。

以下、こんな具合。

「産まれは遠州浜松在(ざい)
十四(じゅうし)の年から親に放(はなた)れ
身の生業(なりわい)も 白浪の 沖を越えたる 夜働き

盗みはすれど 非道はせず
人に情けを 掛川から 金谷をかけて 宿々(しゅくじゅく)で
義賊と噂 高札(たかふだ)に まわる配符(はいふ)の盥越し(たらいごし)
危ねえその身の 境界(きょうがい)も 最早(もはや)四十に 人間の
定めはわずか 五十年 六十余州に 隠れのねぇ
賊徒の首領 日本駄右衛門」

やはり、生い立ちから語っている。

日本駄右衛門があって、次が弁天小僧。弁天小僧のツラネは
先に紹介した「知らざあ」とほぼ同じもの。

その次の忠信利平(ただのぶりへい)のツラネも頭の部分は
よく聞かれるので出しておこう。

「ガキの頃から 手癖が悪く 抜参(ぬけめぇ)りから ぐれ出して
旅を稼ぎに 西国を 廻って首尾も 吉野山」

落語がお好きな方は、ひょっとするとご存知か。

「居残り佐平次」の最後の部分。



品川の妓楼で佐平次は勘定が足らなくて居残っているのだが、
店の旦那に、もういいから出て行ってくれといわれて
「いや、それが、、」「なにかやったのかい?」
「人殺しこそしちゃぁいませんが、、ガキの頃から、、」
のセリフを始め、旦那に「なんか、どっかで聞いたことあるね」
といわせている。(これも佐平次のゆすりになる。)

やはり、こんなところでも「白波五人男」のセリフは
皆が知っている、常識であったことがわかる。


と、いったところで、明日につづく。




 




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