断腸亭料理日記2013

2013年隅田川花見 その2

引き続き、日曜日、隅田川の花見。

吾妻橋を渡って、向島に渡り、土手沿いに北上。

長命寺桜もちを買って、桜橋まできた。


雲が少し薄れ、空が広く感じられるようになった。

桜橋という橋の名前はむろん、この両岸の桜花にちなんだもの
なのであろう。


この角度から見るスカイツリーは微妙に歪んで見える。
が、もちろん、これは錯覚。
皆さんご存知のように、スカイツリーは根元部分が正三角形。
上部が円になっているため、見る角度によって、歪んで見える、
のである。


ゆりかもめ。

桜橋を渡って左。
山谷掘りが隅田川に注いでいた跡。

山谷掘りというのは、ここから日本堤、俗にいう土手八丁。
吉原の大門前。さらに、三ノ輪、反転して南下。
金杉、根岸。今度は北西に向きを変え、日暮里、さらには
王子。石神井川から流れていた。
その昔は、吉原通いの猪牙舟でにぎわった、というわけである。

戦後まで堀としてあったのだが、今は暗渠。
ここから、吉原の手前まで、旧堀の両脇に桜が植えられた
公園になっている。

花見はここまでで終了。

左側、待乳山聖天(まつちやましょうてん)。
小山の下には池波先生生誕の地の碑などある。
聖天様は子授けのお寺。
二股の大根をお供えする。

明治初めまで、芝居街であった旧猿楽町を抜けて、
言問通りを渡る。

どこかへ寄って、呑み直したい。

日も射してきたので少し暖かくなった。

思い出したのが、六区の水口食堂

いわゆる大衆食堂なのだが、土日はJRAのウインズへきている
競馬客の根城の一つになっている。

伝法院通りを抜ける。
やはり人通りは少なくはないが、ごった返すほどではない。
今、伝法院(でんぽういん)は庭を公開しているよう。

伝法院は浅草寺の本坊でご住職などが暮らす場。
庭は伝小堀遠州作。
真偽のほどは定かではないが、江戸初期に造られたものである
ことは間違いなかろう。

この庭はなん度か入れていただいたことがある。
(ご近所のうなぎやさん、小島町[やしま]のご主人のご厚意で
春と秋のお彼岸、東京のうなぎやさんの組合で行われる、放生会
なん度か見せていただいたのである。)

この庭は桜もきれい、で、ある。

ただし、庭の見事さ、よりは、伝法院の本坊などは、戦災でも
焼けておらず、おそらく江戸期の建築でこちらの方が見るべきものが
あるように私などには思われる。

さて。
[水口食堂]。

場所は、ちょうど、洋食の[ヨシカミ]と同じ路地。

入ると、例によって、例の如し。
初老、あるいはお爺さんが呑みながら、店内のTVで
競馬中継を観戦中。。

一階は一杯で、二階へ。
二階は座敷もある。

テーブル席へ。

ビールとポテトサラダ、マグロ山かけ。


(ポテトコロッケももらったのだが、写真を撮り忘れた。)

六区というのか、ウインズ周辺には競馬観戦用の
呑みやが多い。多くは露店というのか外にまで椅子を出した店。
それに比べると、ここは一軒家で落ち着ける。

競馬は私は今はしないが、昔のブームの頃、ちょいと
はまったことがあり、この店の雰囲気は、嫌いではない。

呑みすぎてはいけない。
最終レース前に席を立つ。
(むろん、馬券は買っていない。)

途中、田原町の赤札堂で買い物をし、帰宅。

呑みながらではあるが、そこそこ歩いた。

座って、お茶をいれ、買ってきた桜もち。


箱の意匠もオリジナルであろう。



長命寺桜もちは店名は[山本や]という。
享保二年というから、吉宗の頃の創業。

桜もちというのは、道明寺とこの薄皮であんこを巻いたものと、
二種類ある。
長命寺桜もちは、その元祖という。

塩漬けの葉っぱが大きく、私は葉っぱごと食べるが、
なかなか、うまい。




水口食堂


長命寺桜もち



 




   


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