断腸亭料理日記2013

断腸亭パリへいく。 その2

4月28日(日)

さて。

「断腸亭パリへ行く。」2日目。

パリで最初の夜が明けた。

時差の影響で6時頃に起きてしまった。

ホテルの朝飯は7時から。

窓を開けて街を見てみる。

天気は昨日同様、どんより。
そして、寒い。

窓が向いているのは路地。

見える建物はきれいだが、
通り自体は地味。






目の前下にはこんな店も見える。

7時になって早々に、朝飯に降りる。



ホテルらしい朝飯、か。

コーヒーは大きめのカップにホットミルクも付いて、
カフェオレ仕様。

スクランブルエッグにソーセージ、ポテト。

パンはクロワッサン、バケットいわゆる
フランスパンもむろんある。

焼いたトマト、チーズ。
ヨーグルト。

きのこのソテーが少し珍しいか。
マッシュルームではなく、見たところ
ポルチーニではなかろうか。
食べてみると、独特の香りは少なく、
違うのかもしれない。

さて。

今日はどこへ行くのか。

初日、なので、やっぱり王道のところへ
行くべきであろう。

パリといえば?。

そう、凱旋門に、エッフェル塔。

ルーブルもオルセーもモンマルトルもよいのだが、
この二か所へ行かなければ、とりあえず、
パリにきたことにはならないであろう。

いかにもお上りさんであるが、ファーストパリなので
恥ずかしがることはあるまい。

ネットで調べた今日のパリの天気予報では、
やはり気温も低く、雨模様のよう。

地図を調べて、出る。

まずは凱旋門へ。

ホテルを出ると、寒く、既にポツポツと降ってきた。

折りたたみ傘を広げて、Metoro(メトロ)の駅を捜す。



ここはOpera(オペラ)駅が最寄なのだが、凱旋門は
Charles de Gaulle Etoile(シャルル・ド・ゴール・
エトワール)駅。メトロと書いたが
ここからはRERという正確には市内に乗り入れている
中距離列車に乗って一駅。

駅はAuber(オ(ウ)ベール)。



二人で滞在中使えるように、回数券を買って入る。
(切符は共通。)



特段、新しそうではないが、構内は妙に、広い。

Charles de Gaulle Etoile駅は次。

降りて、なんとはなしに、はやる気分で
スタスタと階段を上がって、出口へ急ぐ。



地下鉄の出口から一歩出てくると、目の前に、
どでーん、と、そびえている。

思わず、

「おお、翼よあれがパリの灯だ」(?!)。

と、口走ってしまった。

大西洋横断飛行をした人、誰であったか?、
のセリフだ。
(リンドバーグだ。ワイルダーの映画であった。)

いかにも、パリ。

堂々たるものである。

実際に見てみても、やはり、これは見ておかねば
いけないものであろうと、思う。

周りを石畳の道路が円形に囲んでいる広い丸広場の真ん中に
絶大なる重量感をもって鎮座ましましている。

フランス語の正式な名前は[Arc de triomphe l'Etoile]。

直訳すると、エトワール(広場)の勝利のアーチ(門)、
ということになるのか。

凱旋門というのは戦勝記念に建てるもの。
昨年のローマ(古代ローマ遺跡)にもたくさんあったが、
むろん、ローマの方が古かろう。

ナポレオン(1世、ポナパルトの)が戦勝記念に
建てたというのは、まあうろ覚えながら知っていた。

ナポレオンは古式に倣って建てたということか。

ちなみに、建てられたのは1836年。

毎度ながら、日本史が専門の私は、年代は日本に
置き換えないとピンとこない。
(世界史、欧州史をきちんと勉強をした
経験は皆無なので。)

1836年は、天保7年。
水野忠邦の天保の改革の頃なので、
幕末も目前の頃。

「なぁんだ。たいして古くないじゃないか。」

やはり、イタリアと比べれば(日本と比べても)
フランスは知れている?。

しかし、まわりの観光客の半分以上が、中国人。
嗚呼、彼の国も、連休であったか、、、。


つづく。








 


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