断腸亭料理日記2012
元浅草〜両国橋まで
5月13日(日)
さて、日曜日。
今日も、天気がいい。
森下の桜鍋・みの家へ、歩いていってみようかと、
思い付いた。
桜鍋、別名けっとばし、馬肉の鍋、で、ある。
昨年と一昨年、NHKの『講座』で夏、二回もいっている。
(従って、池波レシピ。)
やっぱり、桜鍋は、夏、で、ある。
これが、猪鍋、になると、冬でもいいのだが、
そう軍鶏鍋も、共通するが、夏の暑い頃、スタミナ付けに
という気分になるし、また、昔から夏のものでもあった。
3時すぎ、内儀(かみ)さんとともに、徒歩で出る。
森下まで、普通ならば大江戸線。
一本でいける。
歩くと、どのくらいかかるのか。
実際に歩いてみたことがないので、わからない。
むろん、江戸の頃は、駕籠や船というのもあるが、
普通は皆、歩いていた。
今の時代小説は、江戸の街を舞台にしていても
なんだかわからない架空の町名を使ったものも
少なくない。
が、鬼平でも剣客商売でもそうだが、
池波先生は、江戸の街は実際の町名を使い、
ここからここまで、歩いて、ということを
時間の経過、行程も含めて書かれている。
例えば、剣客商売で秋山大治郎が橋場の自宅兼道場から
父小兵衛の鐘ヶ淵にある隠宅まで行くとする。
橋場、というのは浅草の北、隅田川縁(へり)。
鐘ヶ淵は川の対岸で橋場からは1.5kmほど上流になる。
物語では、ここをよく小兵衛の若い妻、おはるの操る船で
行き来しているが、大治郎は一人の場合、歩くことも多い。
江戸の頃、吾妻橋から北は千住大橋まで橋はなかった。
まあ、渡し舟を使ってもよいはずなのだが、橋を渡るのであれば、
橋場から、浅草まで南下し吾妻橋を渡って北上する、
と、いうことになる。
大治郎は、そうとうに遠回りだが、このルートを
使っていることが多い。
池波先生は、こういうことをきちんと歩く時間も計算して
書かれているのである。
これは、いわゆる、土地勘、といったらよかろうか。
先生自身が浅草の生まれ育ち、ということもあるが、
作品を書くにしても実際に歩いて取材をして書かれてもいるし、
また、それ以上に、舞台となる(江戸)東京の街を散歩をするのが
そうとうに好きであったようである。それも1時間、2時間、
3時間と、長時間。(むろん、途中で休まれただろうが。)
現代において、タクシーならまだしも、地下鉄なんぞにのると、
この、土地勘はまったくなくなる。
降りても、どちらが北だか南だか、チンプンカンプンというのは、
東京人でも、始めていくところは、えてしてこういうもの
であろう。
私も、池波作品を読む場合は、頭の中に地図を思い浮かべ、
ここからここまで歩くのに、どのくらいかかるか、
それはどのくらいたいへんなことか、を想像している。
まあ、そんなことを含め、むろん、運動にもなるので、
今日は森下まで歩くことにした、のである。
大江戸線だと、蔵前、両国、森下。
たった三つ。
まずは、真っ直ぐに南下。
三筋を抜けて、車の少ない、裏通りを選ぶ。
鳥越神社をすぎて、蔵前橋通りを渡り、
浅草橋の裏路地を抜けて、総武線の高架にぶつかる。
浅草橋駅下をくぐり、左に曲がり、ここで、
蔵前通り(江戸通り)に出る。
通りを渡って、浅草橋の袂を左に折れ、神田川沿いの河岸道を
隅田川方向に歩く。川には多くの屋形船が舫われている。
見えてくるのが、柳橋。
神田川が隅田川に合流する直前の橋が柳橋。
今は、この北側、面影もほとんどないが、
その昔、生粋の江戸っ子芸者といわれた、柳橋花柳界。
柳橋を渡って、靖国通り(京葉道路)に出て、
これも南へ渡る。
左側にはすぐに、両国橋が見える。
このあたり江戸の頃とはそうとうに面変わり(おもがわり)
している。昔の両国橋は、今の場所よりも気持ち南。
いや、それ以上に、この橋の両袂は、広場になっていた。
東両国広小路、西両国広小路。
どちらも、上野の広小路同様に、見世物小屋だの
小屋掛けの芝居、大道芸人、屋台店などが集まった盛り場であった。
今では、どのあたりが広場だったのかは、
まったくわからないほど、ビルが建て込んでいる。
両国橋を渡る。
ここで隅田川を見ると、上流は右に、
下流は左に、カーブしている。
渡ると、本所になるが、このあたりから下流の
本所側が、大川端、と呼ばれていたところになる。
下流側の本所側にはすぐに、竪川の入り口が見える。
上が首都高速(京葉道路)。
渡ると、袂に少し前まで工事をしていたが、これが終わって、
きれいな公衆トイレと、石碑があった。
この石碑、今までは工事の柵の中にあったので気が付かなかった
日の恩や・・・・・厚氷
俳句のようだが、読めぬ、、。
後ろにまわると、昭和3年、とある。
ああ!。
脇に、説明板があった。
ん?大高源吾。
忠臣蔵の四十七士だ。
俳句は、
日の恩や忽(たちま)ち砕く厚氷
だ。
と、今日はここまで、つづきはまた明日。
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