断腸亭料理日記2012
3月25日(日)
さて。
日曜日。
ニュース等でも皆さんご存知の通り、
東京スカイツリーの開業が5月に迫ってきた。
(5月22日開業予定とのこと。)
やっと少し、暖かくなったか。
天気もよい。
開業を控えて、もう周辺の施設を含めて
出来上がっているのだろう。
最近、近くでは見ていないので、見に行こうか。
出かける前にちょっと予備知識。
皆さんは、あれが明確にどこに建っているのか、
場所は、ご存知であろうか。
浅草の近所?
押上?、
そんな感じであろうか?。
スカイツリーは、東武鉄道の本社のそばに、
東武鉄道が造った。
当然東武の駅がすぐそばにあり、
駅名が以前は業平橋だったのだが、タワー開業を
控えて、先日、『とうきょうスカイツリー』駅に
変更された。(なぜか、とうきょう、が、平仮名。)
建っている場所は、墨田区押上一丁目。
スカイツリーのすぐ南に、北十間川という堀がある。
堀をはさんで対岸の町名が業平、という。
旧駅名の業平橋はこの業平。
現代の地図。
より大きな地図で 断腸亭料理日記/押上・業平橋 を表示
江戸の地図も、出しておこう。
東武鉄道の本社がここにあるくらいなので、
隅田川を渡って、浅草に乗り入れる前、
この駅が東武伊勢崎線の始発駅だった頃もある。
まあ、それだけ東武鉄道にとっても由緒のある駅と場所と
いってもよいのかもしれない。
さて。
橋の名前でもあり、駅の名前にもなっており、
今でも町名でもある、業平、の、ことである。
だいたい、これ、なんと読むのか、
読めない人はおられようか。
(ひょっとすると、若い人など、あるかもしれない。)
ナリヒラ、で、ある。
これはなにか。
ご存知の人は、ご存知。
在原業平。
(これも、読めぬかもしれぬ。アリワラ、で、ある。
しめて、アリワラノナリヒラ。)
この人は、平安時代初期の貴族・歌人。
実在の人、で、ある。
美男の代名詞のようにもいわれる。
在原業平は、伊勢物語の主人公といわれており、
物語中に、業平の東下り、というものがある。
ちょいとわるさをして、東国に流され、業平は
隅田川を渡ったこのあたりに住んだという。
その隅田川を渡る時に、都鳥(実はユリカモメ)がいたので、
都を懐かしんで、詠んだ歌というのが、これ。
名にしおはば いざこと問はむ都鳥
わが思ふ人はありやなしや
『こと問はん』から、隅田川に架かる言問橋、の名が生まれてもいる。
在原業平は実在の人だが、
おそらく、これらはすべて架空の話。
まあ、伝説、と、いってよいのだろう。
ただし、奈良平安の頃、この隅田川をはさんだ、
浅草と向島は古代東海道の宿駅で、
隅田川を渡る渡船場であったことは、史実で、役人として
下向した都人もこのあたりを通ることがあった、
のであろう。
(宿駅は今の浅草、向島よりももう少し、北。
白髭橋あたりであったという。)
で、なぜ、そんな平安時代の伝説が今の世まで、
町名にまで残っているのか。
これ、今、あまりちゃんと説明されていないのである。
では、いつ頃から、このあたりは業平
といわれていいたのか。
もう一度、江戸の地図見ていただこう。
右下に業平橋があり、森川しなの下総守という屋敷があり、
その西。
ここに南蔵院、というお寺がある。
この地図には書かれていないが、この南蔵院と
一緒に、業平天満宮という神社があった。
(南蔵院は業平天満宮のいわゆる別当寺というやつである。)
天満宮というから、神社である。
それも業平を祀った神社。
これがどうも、元で、業平橋は、業平天満宮が近くに
あったからついた名前のようである。
この南蔵院は、耳にされた人もあるかもしれぬが
縛られ地蔵という、縄でぐるぐる巻きにされた
お地蔵様があったことでも、知られていたお寺である。
(縛られ地蔵の話は、長くなるので別の機会に。)
で、この南蔵院と業平天満宮は大正の関東大震災まで
ここにあったのである。(震災後、葛飾区の水元へ移転。
南蔵院は今も水元にある。)
このあたりのこと、墨田区史を紐解いてみると、
こんなことが書いてあった。
江戸の頃の記録によれば、業平神社には小さな塚があったらしい。
まさか、業平の墓ではない。
明治以降の研究者は、古墳ではないか、
あるいは、この付近の水死者を埋めた塚では、
という説もあるという。
また、別の記録には、江戸初期、向島に水戸藩の藩邸
(今の隅田公園、江戸の地図、源森川の北)ができるにあたって、
そこにあった、業平神社が、ここに移転された、
というものも残っている、と、いう。
墨田区史もここまでで、業平天満宮がいつからここにあるのかは
よくわからない、らしい。
(墨田区史以降の研究があるのかどうかは、私は
フォローできていない。)
とまあ、予備知識で終わってしまったが、長くなった。
今日はここまで。
つづきはまた明日。
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