断腸亭料理日記2012
TVでも、昨日から、あるいは少し前から、
毎日、ずっと、震災後1年の様々な番組が放送されている。
正直のところ、正視するのが苦しい。
自分を含め、震災というのは、まだまだ終わってもいない。
一年前、あの時間、なにをしていたか。
東日本の人間は、かなり明瞭に頭に思い浮かべる
ことができるだろう。
個人的なことを書くと、福島第一原発から10数キロのところに
自社の工場があり、それは私自身が直接担当する仕事であった。
そこは企業であり、立ち止まっているわけにはいかない。
事業の継続、別の立地を求め、工場の再建を進める。
さはさりながら、工場に勤める同僚である従業員とその家族は
あの周辺に住んでおり、直接の被災者になった。
家族の皆さんは、旦那である当社の従業員と離れ、
今も近隣の仮設住宅に住んでいる、あるいは、
県外含め、様々な地域に避難し、生活を続けている。
こういう状況は今もまさに進行形で続いている。
9日、金曜日、NHKの「ニュースウォッチ9」で
作家の高村薫さんが話していたことが、
とても気になった。
私達がしなければいけないことは、なにか、という問いに、
『言葉にすること』と高村さんは答えられていた。
確かに私達は、まだ、この震災を言葉にできていない。
ツライこと、ではあるが、やはり言葉にしていかなければ
いけないのであろう。そんな思いで考えてみた。
1年経って、当時の菅首相はじめ官邸が、どんな状況に
あったのか、明らかになってきている。
あまりの事態に、なにもできず、ただ立ちすくんでいた。
立ちすくむしことしかできなかったのが、私達であった。
アメリカが、空母ロナルドレーガンを派遣し、
津波をかぶってガレキに埋もれた仙台空港を、
瞬く間にきれいにし、使えるようにしてくれた。
これは驚きもしたし、正直にありがたいことと感じた。
しかし、どうしていいかわからずに、右往左往していた
我々とは、危機管理からして、全く違っていたこともまた、
思い知らされた。
これは原発についても、然(しか)り、で、ある。
持つ力もない、責任も負えない者が、あるつもりで、
持ってしまった。
その結果がこういうことであった、と、
いえるのかもしれない。
私が考えるのは、この震災を機にということでもよい、
私達はこの国をどんな国にしたいのか、このことを、
国民皆で考える必要があるのではないか、ということである。
私達は、このことを今まで真剣に考えてこなかったのでは
なかろうか。
私にはそう思えるのである。
明治以降、私達はどんな道を歩んできたのか。
欧米列強による、幕末の強引な開国。
押しつけられた、不平等条約。
明治維新を経て、この不平等条約をかえることが
至上命題。文明開化、富国強兵。
国会を作り、憲法を作り、不平等条約はなくなった。
ここが一つのターニングポイント。
(ここで立ち止まって考える選択肢も、あったのでは、
と、私は考えるのだが。)
その後、我国は、欧米列強を追いかけ、その一員に
なる道を選んできた。
これには国力に対して、分不相応という言い方もできよう。
その行き着いたところが、第二次大戦の敗戦。
この時、物心両面で私達は、大いに傷付いたことは
確かであろう。
そして、軍事大国にはならない、という方向性を
与えられたことをいいことに、高度経済成長、
安くて良質な家電、自動車などを、バンバン開発し、
世界にバンバン売って、ジャパン・アズ・No.1、
というところに到達した。
これで、敗戦で傷付いたプライドと生活は復帰された。
いや、それ以上の地位を得て、私達は、満足をした。
その後、バブル崩壊、という時代を経るのだが、
この、ジャパン・アズ・No.1の地位を獲得し、
満足をしたところで、私達は終わっている。目標を
失ったように思うのである。
明治以降の欧米に対して、追い付け追い越せ、という気持ちは
ある程度、国民の総意であったことは間違いなかろう。
が、一方で、私達は、それ以上のなにものか、
野望のようなものを持っていたわけではない。
例えば、かつての大英帝国の頃のイギリス、あるいは、
フランス、少し前のアメリカ、あるいは、ソ連〜ロシア。
そして、今の中国。
彼らは、言葉の使い方が乱暴だが、
それぞれある意味で“世界征服”を目指してきた。
彼らにはそういう野望があった、といってよかろう。
我国は、せいぜいが大東亜共栄圏で(それとて、
国民の総意とはいえなかろう。)“世界征服”の柄では
ないことはよくよくわかっていよう。
我々にそんな野望はない。
これはある程度、私達の総意、ということは
いえるのではなかろうか。
では、どうすればよいのか。
私の提案は、やはり、明治からの追い付け追い越せを
始める前の、江戸の頃に一度戻って、どんな国でありたいのか、
ということを、考えてみてはどうか、ということなのである。
極端なことをいえば、もう一度鎖国をしてみれば?!
なのである。
そうすれば本当に私達に必要なものと、いらないもの、
または、世界で私達がなにができるのかを、
考えることができるのではなかろうか。
考え方の話、で、ある。
現実的には、むろん今、鎖国することはできない。
電気、ガス、水道、電話、ネット、その他の便利な生活。
または、先端の医薬品や医療技術など、近代文明の恩恵を
捨てることは難しい。
だが、最低限、我々に本当に必要なものはなにか。
それを得るために、どのくらい稼がなければならないのか。
これは計算できるのだろう。
家電や自動車も曲がり角に立っているとはいえ、
今、いきなりやめるわけにはいかない。
これからもなんとか飯を食っていくために、
グローバルマーケットでの最適なポジションを捜して、
それぞれの企業の悪戦苦闘は、
もうしばらく続けていかなければならない。
だが、アニメや、オタク文化、AKBなども
その一つなのだろうし、宅急便やコンビニの
きめ細やかなサービスも、私達らしいもののように、
私は思う。
こうしたことを、考えようではないか。
昨年、ブータン国王夫妻が来日された時に、
私達には、共感するものがあったではないか。
私達の本当の幸せは、なにか。
前に書いたが、幕末前の江戸人は前近代人などではなく、
既に十分に成熟していた。
こう考えてくると、自ずと見えてくるものは、
あるように思うのである。
ともあれ。
1年前、未曽有の震災で亡くなられた数多くの方々の
魂の安らかなることを、今日は祈る。
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