断腸亭料理日記2012

浅利と大根の鍋

3月12日(月)夜

さて。

今日はなにを食べようか。
市谷のオフィスから牛込神楽坂に向かって歩きながら
考える。

夜になると、やっぱり寒い。

簡単に、鍋、、かな?!。

池波レシピの大根鍋シリーズの鶏と大根を1月にやった。

池波レシピには大根鍋はいくつかあるが、
浅利むき身をやってみようか。

そう、これはNHKの取材を受けたものだったっけ。
貝類の旬は春であるが、ちょうどよい頃である。

駅の隣のスーパーに寄って、浅利むき身、大根を買う。
浅利は1パック200〜300円のを二つ。

浅利は殻を取ってしまうと、ほんのわずかな量。
毎度思うが、随分と高い。

むき身というのは、むいてない浅利の値段に連動し、
むき代が入っているのか。
と、いうことは、元の浅利の値段が高い、ということか。

それから、大根。
これは馬鹿高。

一本の半分で200円弱。
(寒さの影響であったっけ。)

仕方ないが、買って帰宅。

浅利と大根の鍋、というのは、仕掛人藤枝梅安に出てくる。

(ちょいと引用。)

『春の足音は、いったん遠退(とおの)いたらしい。

 毎日の底冷えが強(きつ)く、ことに今夜は、

(雪になるのではないか……)

 と、おもわれた。

 梅安は、鍋へ、うす味の出汁(だし)を張って焜炉(こんろ)をかけ、

これを膳の傍へ運んだ。

 大皿へ、大根を千六本に刻んだものが山盛りになってい、浅利のむきみも

たっぷり用意してある。

 出汁が煮え立った鍋の中へ、梅安は手づかみで大根をいれ、浅利を入れた。

千切りの大根は、すぐに煮える。煮えるそばから、これを小鉢に取り、

粉山椒(こなさんしょ)をふりかけ、出汁とともにふうふう言いながら

食べるのである。

 このとき、酒は冷のまま、湯のみ茶わんでのむのが梅安の好みだ。』

梅安最合傘 仕掛人・藤枝梅安(三) (講談社文庫)



焜炉、と、いうのは七輪のこと。

梅安は表向きは、一人暮らしの針医者。
陰にまわって、仕掛人を生業(なりわい)、と、している。

ちょうど、春まだ浅い、今頃の季節であろうか。


帰宅し、スーツを脱いで、丹前に着替える。

焜炉、ではなく、やっぱり火鉢。

火熾しで、炭を熾す。

同時進行で大根を切る。

皮をむいて、縦に薄くスライス。
これを重ねたまま、1〜2mm、出来るだけ細く、切る。

浅利むき身は、2パック、洗うだけ。


熾きた炭を、火鉢に移しておく。

鍋は小鍋。

よく、小鍋立て、というのが最近流行っているが、
これを言い出したのは、他ならぬ池波先生であったといって
よいだろう。

いや、元来東京下町の鍋、というのは、小鍋であったと
思われる。駒形のどぜう、神田須田町のあんこう鍋のいせ源
なども皆、小鍋、で、ある。

これはやはり、基本、一人。
あるいは、二人の差し向かい。

それで、拙亭には、このためにいせ源で使ってるような
ステンレスの小鍋を用意している。

大根は千六本に切ってある、とはいえ、火鉢の炭の火力で
火を通すのはちょいと時間がかかるので、先にガスで煮る。

出汁ではなく、水。
作品は“出汁”だが、大根と浅利で十分に出汁は出るし、
味付けはしょうゆで問題ない。

大根を入れ、ふたをして、煮る。

ある程度煮えたら、火鉢へ移動。

取り皿、しょうゆ、粉山椒を用意。

酒ではなく、ビール。

準備OK。

座って、むき身も入れる。


むき身はむろん、煮すぎない方がよい。


取り皿に取って、しょうゆをたらし、山椒をふって食べる。

浅利というのは、苦味がある。
このため、山椒はやはりかけた方が、うまい。

食べたそばから、大根を入れ、ふたをして、煮る。

食べては煮て、煮ては食べる。
温まってくる。

浅利と大根から出た出汁で、つゆもうまい。

食べ終わって、しょうゆをたらして、
つゆも全部飲み干す。

ほんの少し、春の味、かもしれない。

うまかった。






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