断腸亭料理日記2012
7月12日(木)夜
大手町で6時仕事終了。
さて。
なにを食おうか。
とにもかくにも、日本橋方向へいこう。
蕎麦。
やぶ久も、いいな。
少し前に、満員であきらめた、ということがあった、
吉野鮨。
呉服橋交差点を渡り、東京駅方向1本目を左に入る。
路地一本目の右側が、やぶ久。
暑いし、、、蕎麦より、鮨かな、、。
ここではいつも、天ぬき、で、一杯だったが、
天ぬきは、さすがに、暑い。
中央通り、高島屋の角まできた。
高島屋の中を抜けて、南側の通りに出る。
ん?!。
待てよ、うなぎだ。
土用も近い。
野田岩があるじゃないか!、で、ある。
高島屋の特別食堂に入っている野田岩。
最近、きていなかった。
日本橋高島屋の野田岩は、池波レシピ。
高島屋裏通りを右に曲がると吉野鮨だが、
左に曲がって、右側が高島屋新館。
特別食堂はこの中。
四階。
池波先生の比較的晩年に近い頃のエッセイ、
『銀座日記(全)』
に頻繁に登場する。
銀座線で結ばれた銀座、京橋、日本橋、この界隈、
映画の試写を観て、日本橋ならば丸善などで買い物。
その後、気軽に入れて、うまいうなぎ、と、いうと、
ここ、という選択ではなかろうか。
この範囲、むろんうなぎやは、他にもあるが、今、
ここぞ、というところは、意外に少ないかもしれない。
エレベーターで上がると、椅子が並んだ、
広い待合のスペースがあり、白い上っ張りを着た
ウエイター氏がおり、一人、といって、案内してもらう。
ここの六階にもレストラン街はあるが、
こちらは“特別”と銘打っているように、
和食の料亭、帝国ホテルと、うなぎの野田岩の
料理が同じところで、同時に食べることができる。
五代目というくらいで、創業200年、寛政年間という。
(以前に160年前と書いたが、間違いのよう。)
寛政年間であれば、浅草田原町のやっこなどと
並んで、東京で最も古くからあるうなぎやの一軒、
と、いってよかろう。
座ると、ウエイトレスがお茶を持ってくるが、
ビール、瓶でキリンラガーを頼む。
メニューを広げるが、すぐに決まった。
むろん野田岩のうなぎなのだが、白焼きと蒲焼が
二段のお重になっているもの。
白焼きは、野田岩では、洒落て“志ら焼”と、書く。
池波先生はご飯の中にも蒲焼が入っている
中入れ丼が、ご贔屓であった。
白焼きをつまんで、うな重も食べられる。
むろん安くはないが、夢のような組み合わせ、
ではないか。
そうだ。
このレストランの入口にも貼りだされていたが、
今は特別価格、のよう。
土用の丑の日に向かってただでさえ品不足の上に
値が上がっているのであろう。
毎度書いているが、うなぎ蒲焼とにぎりの鮨は、
江戸・東京発祥の食いもの、で、いわば、
私などにとっては、故郷の名物料理。
むろん、好物であるし、やはりたまには、
うまいうな重を食べたいもの、で、ある。
ほどなく、きた。
上が白焼き。
これをつまんで、ビールを呑む。
脂はあるがとても上品で、香ばしい白焼き。
ビールを呑み終わり、うな重にかかる。
ここの蒲焼は丁寧な仕事、といわれる。
たれの味はやはり、さっぱり系。
蒲焼の焼き方が絶妙なのであろう。
実に香ばしい。
多少堅めの、ご飯の炊き加減も極上。
蒲焼の味とたれをかけたご飯の味が、
おそらく両方を同時に口に入れた時に、
完成するように考えているように思われる、
このあたりが丁寧な仕事、と、言わしめる
所以、で、あろう。
東京のうなぎやで、私は、味では野田岩が、
ナンバーワンだと思っている。
この他に私の好きなのは、南千住の尾花
神田明神下の神田川。
南千住、小塚原の尾花は大広間の入れ込みで、
胡坐をかいて座り、じっくりとうなぎが焼けてくるのを
待つ。この時間がよい。
神田川の方は、旧講武所花街の一角で
日本家屋の個室。
気の置けない誰かと、じっくりゆっくり
蒲焼が食える。
それぞれ、東京情趣があり、個性があり、大好きである。
ただ、うな重の味一点で比べれば、
野田岩に止めを刺す。
うまかった。
ご馳走様でした。
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