断腸亭料理日記2012
1月25日(水)昼
午前中、埼玉県の北部にある得意先訪問。
打ち合せを終え、12時前、上野に戻ってくる。
連れがあり、上野界隈で昼飯を食べることになる。
じゃあ、とんかつ!。
上野で昼飯といえば、とんかつが、やはり
私のリコメンド、で、ある。
毎度書いているが、上野というのは、
(どうしたわけか)とんかつ発祥の地、ということになっている。
実際のところ、上野には明治から大正、昭和初期創業の
とんかつやの老舗が、三軒ある。
大江戸線で帰社するにも便利であるし、
最初に、そのうちの一軒、井泉に向かう。
井泉というのは、昭和五年の創業。
三軒の中では一番新しいが、今はチェーンで大きく店を広げている、
青山のまい泉もここから出ている。
三軒の中では最もお安い。
ちなみに、各店の値段は、
井泉:ヒレかつ定食1800円
蓬莱屋:ヒレかつ定食2900円
本家ぽん多:カツレツ2625円
と、なっている。
井泉は、私も一人でよくくるし、建物もこのあたりが花柳界であった頃の
雰囲気を残し、宴会などもよい。
場所は、広小路と春日通り交差点の南東の路地裏。
来てみると、、、あれま。
休み。
水曜休みであった。
じゃあ、次。
今度は松坂屋裏、蓬莱屋。
大正三年創業。
かの映画監督小津安二郎氏の贔屓であった店。
広小路を渡って、春日通り沿い御徒町駅方向に歩き
松坂屋脇の路地を右に入って、右側。
げ、、。
ここも水曜休みかぁ〜。
ちゃんと調べてくるのであった。
しょうがない。
ここまでくれば、本家ぽん多だ。
もうすぐ近く。
蓬莱屋の路地を真っ直ぐいって、
突き当りを右に曲がると、右にある、、、。
よかった。
暖簾が出ている。
人を連れて、歩き回るのは申し訳なかった。
本家ぽん多は、創業明治三十八年。
池波先生御用達、池波メニューである。
重厚な扉を開けて、店に入る。
一階はカウンターで、
お二階へどうぞ〜、というので、階段をあがる。
お安くはない店だが、ほとんど満席。
あいていた、窓際のテーブルに座る。
むろん、カツレツを、頼む。
とんかつの起源は、明治の頃洋食やというものが
東京にもでき、そこにあった豚のカツ、
カツレツというメニューが独立し、カツレツだけを
扱う店ができ始めた。
先の蓬莱屋などは、開業当初は屋台であったという。
そんなこともあってか、ここのメニュー名は
とんかつではなく、洋食やの、カツレツ、のまま。
そして、次第に今の和食屋のような顔をした、
とんかつや、というものが一般的になっていった。
その過程が、今の三軒といってもよいかもしれぬ。
最初の井泉の座敷などは、完全に和食屋の顔、で、ある。
きたきた。
ぽん多のカツレツ。
色が白い。
浅い揚げ上がり。
むろん、中は生ではない。
肉はぶ厚く、脂身もないが、ロースではなかろうか。
蓬莱屋などは、対照的に真っ黒、といってよい
揚げ色。
(どちらも、うまいが。)
右側に一個、離れて置かれているのは、
じゃがいもだけのフライ。下町ではポテトフライといって
肉やなどでも揚げている子供のおやつであったもの。
そうそう、ポテトフライは、池波先生の好物でもあった。
子供の頃には、ポテトが好きな正ちゃん、で、
ポテ正、などと呼ばれていた、と、先生は書かれている。
ここは、この浅い揚げ方なので、
いかフライ、なども、うまい。
うまかった。
勘定は、階下で。
ご馳走様でした。
P.S.
そうそう。
上野のとんかつやといえば、もう一軒。
双葉が、ある。
創業は戦後の昭和四十三年で今の三軒よりは新しいが
もしかすると、三軒を超えるうまさ、かもしれぬ。
しかし、営業している時間が極端に少ないのである。
営業日が火、水、金、土の四日間。
その上、昼のみ。
時間に余裕のある時でなければ、行けないが、
お薦め、である。
台東区上野3-23-3
03-3831-2351
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