断腸亭料理日記2012

煮込みと、、、日本人として?

2月4日(土)朝

さて。

土曜日。

朝は、飯を炊いて、先週の日曜日だかに
作っておいてあった、モツの煮込み。


もつ煮込みの作り方は、前のものをご参照されたい。

今回のものは、モツ以外にはこんにゃく、茹で玉子、
木綿豆腐、それから、冷蔵庫にあった、ごぼう。
ごぼうを入れたので、ちょっと色が黒くなっている。

また、ご飯は、電気炊飯器ではなく、
これもいつもの通り、ホーロー鍋で。

鍋でのご飯の炊き方も出しておこう。

電気釜ではなく鍋で炊くメリットは、浸水さえできていれば、
15分程度と、格段に早いということ。
また、慣れてくれば、炊き上がりもコントロールでき、
好みの堅さにもできる。

また、基本、日本人なのだから、鍋で飯が炊けなくては
いけないだろう、というのも、私の頭には、ある。

さらにいえば、薪で火も熾せて、というのも
付け加える必要があるかもしれない。
これは震災でも起きたら、ということも一つある。
(キャンプなどで飯盒(はんごう)で炊いたことのある人は
できるかも知れぬ。)

余談のようだが、この周辺の私の思っていることを
書いてみたいと思う。

これは私の人生観というのか、ポリシーというのか、
そんなものである。

なにかといえば、親の世代ができていたことが、できない、
というのは、いけないことなのではないか、
と、思っているのである。

文明の進歩によって、様々なものが便利になったが、
その代わりに、失ったものは大きかろう。

例えば、着物が自分で着れて、たためる。
親の世代であれば、100%の人ができた。
我々の世代で、男でも女でもこれができる人は、
どれだけあろうか。

着物は、私が落語をやるようになり、
その最初に、いわれたことでもある。
落語はむろんのこと、着物を着るので、
自分で着れねばならぬし、たためねばいけない。
(女性の場合は、さらに、着物が縫える、というのも
入るのかもしれない。)

私は、ある種、落語の前座修行、という気持ちで
着る稽古として、着慣れるためにも、一時、
毎日会社から帰ると、夏は浴衣に、冬は丹前に
着替えていた。

この時に、先の、親ができたことができない、と
いうことは、日本人として、いけないこと、
恥ずべきことではないかと、思うようになったのである。

他には、包丁が持てる、というのもある。

自分の父親ができたかどうか、料理をする姿を
まったく見たことがないのでわからぬが、同じ家にいた
祖父が、魚をおろしていたのは覚えている。

よって、私は魚が好きなので、おろせた方が
便利でもあるし、生活するために必要な基本技術として、
魚をおろせるようになろう、と、考えた。

同じようなことだが、今述べた生活上のこと以外に、
こんなこともある。

例えば、筆が持てる。

私は、子供の頃から字は下手で、筆でなくとも、
だめ、なのではあるが、本当であれば、
筆できれいな字ぐらいは、書けないと恥ずかしかろう。
(私は、恥ずかしい。)

さらに、大学を出た知識人として、というのもある。

明治の頃、大学を出た学士様、というのは、社会的には
そうとうに偉かった。

漱石が書いていたような気もするが、
武士からの伝統であろう、漢文が書けて、読める。
むろん古文も読める。
その上、英語の読み書きもできる。

大学を出た学士様はこのくらいのことは、
文系理系を問わず、できるのは、あたり前、
いわば常識であった。
我々の頃にあった、教養課程というのが今の大学(学部)の
カリキュラムにあるのかはわからぬが、
これはそういうことであろう。

我々の世代だと、理系だから、文章は下手、
なんという人はざらにいる。

ほら、理系の人で、たまにいるであろう、メールなどでも、
日本語の文章なのに、句読点ではなく、コンマ、
ピリオドを使う人。お前は、国語を習ったのか、と言いたくなる。
気になって仕方がない。
苦手なのはしかたがないことだが、平気でいては、困る。
恥ずかしいことと思うべきである。

(ちなみに、この日記の文章は、句読点その他、
本来の日本語の表記を無視していることは、承知している。
例えば、改行や句読点がべら棒に多いのは紙ではなく、
PCのディスプレイ上で横書きで読むので、どうしたら
読みやすいのか、ということを考えた上のことではある。)

話が飛んでしまった。

我々日本人は、一般に、自分達のルーツだったり、文化、
自分達はどこからきたのか、ということに
あまりに無関心すぎると思うのである。

欧米人でもどこの国の人でもよいのだが、普通は、
好き嫌いは別にして、自分の国の文化は自分の口で説明できるものである。
世界へ出た方は意識されると思われるが、これは要求されることだろう。

そういう意味も込め、米ぐらい鍋で炊ける、その他、
親の世代ができたことは、できた方がよい、と、私は思うのである。






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