断腸亭料理日記2012

断腸亭の夏休み イタリア その3

8月10日(金)

引き続き、バチカンのサン・ピエトロ広場。

強い日差し。

幅240mの楕円形というが、まあ、とにかく、大きい。

昨日も書いたが、私にはただ物理的に大きいだけではなく、
存在として大きく感じる。
圧倒される。

楕円形の外周部分には、回廊のような建造物があり、
その上には、なん体もの聖人、福者などの像が並んで、
見下ろしている。


なんだか、大聖堂に入らずに、ここで尻尾を巻いて
帰りたくなってくる。

本来、カトリック教徒であれば、ローマに来るのは
歓(よろこ)び、なのであろうが、、、。

今までの不信心を悔い改めなければとても、
大聖堂には入れないような、そんな心持ち。

だがまあ、さすがに、ここまできて、帰るわけにもいかない。

聖堂に向かって右側の列に着き、セキュリティーチェックを
受け、大理石の石段を上がり、正面のエントランスから入る。

中へ入ればまた、もっと圧倒される。

高い高い天井。
奥に向かって、両側に並ぶすべて石で造られた太い柱。
どこになにがあるのかわからないくらい、彫られ、描かれ、
飾り立てられ、輝いている。

その大きさ、荘厳さ、重み、その他、筆にも舌にも
尽くしがたいなにものかに、押し潰される。

行かれた方は、ご存知であろうが、入ってすぐ右に、
かのミケランジェロ作のピエタ、というキリストが十字架に
架かって亡くなった身体を抱いている聖母マリア像がある。

ガイドブックを片手に見ようかと思ったのだが、
大聖堂に一歩入ったら、そんな気はすぐに失せた。

やはりここは、カトリックの信者にとっては、
祈る場所なのである。
それも世界で最も中心にある教会。

文化財、美術品、芸術品として端から観る、
なんということはとてもできない。

とっとと、主祭壇前へ行って、祈らねばならない。
そういう思いに駆られたのである。

大聖堂の中は、人であふれているが、ゆっくりと、
真っ直ぐ、主祭壇へ向かって歩く。

普通、教会の祭壇側には、祈る信者は入らない、
入れないようになっている。
しかし、ここの主祭壇は、さらに奥に内陣、
という広いスペースがあり、そこまでも普通に入れて、
どこが祭壇であるか、にわかには、わかりにくいのであるが、
大きな天蓋がありその手前下が、普通の教会でいう、
祭壇のよう。

やはり手を合わせて祈っている人もいるので、
ここであろう、と、わかったようなわけである。

そこに立ち、長らくしていなかったが、
十字を切って、目を閉じ、主の祈りを唱える。

まあ、こんなことで、今までの不信心が
許されるとも思われぬが、キリスト教の本義は
許す、ということにもある。
ついで、に来たことは否定しがたい事実だが
バチカンの聖ペトロ大聖堂で、祈ったということで、
ある程度の自分自身の心の整理はついた、か。

ここでなくともよい。
イタリア滞在中に、どこかの教会で
ミサに参列ては、なんという思いも頭をよぎったりする。

内儀(かみ)さんなど、こんな私の姿をそばで見て、
今までの生活では毛ほども見せなかっただけに、
驚いていたようであった。

不信心者(もの)で、普段の東京の生活では埋もれていたが、
私自身、カトリック信者である、という
アイデンティーのようなものは確かにあった。
そのことが、ここへきて改めて掘り起こされたのである。

断腸亭とカトリックは、イタリアに来たこと以上に、似合わないと、
思われるかもしれぬが、確かにそう、共存しているのである。

自宅近所の産土神(うぶすながみ)である鳥越神社の初詣で
手を合わせるのとはまた別種の心のベクトル、と、いうしかない。

日本人は山や海、畑、田んぼ、稲、木、竈(かまど)その他、
自然界や身の回りのものの多くに神を感じ、祀ってきた。
こうしたものは、いわゆる宗教とはまた、別種のものであろう。
一人の人間の中で同時に存在することはあってもよいのでは
なかろうか。

さて。

気を取り直して、今度はもう一度、入口に戻り、
ガイドブックを見つつ、各所を観てまわる。

これも、ここにこられた方は、ご存知であろうが、
大聖堂の両側には、無数といってよいくらいの小さな、
(と、いっても、普通の教会ほどの大きさの)祭壇が
ずらっと、並んでいる。

これらの多くが歴代の教皇様のお墓だったりもするようで、
それぞれに、意味と由来があり、本来、信者であれば、
丹念に神父さんなどの説明をお聞きしながら、
祈って回らなければならないものであろう。
(まあ、それが巡礼というものである。)

観てまわるがやはり、祈る対象であり、
カメラを向ける気にはならない。

なにもないのも、イメージが伝わらないので、
ウィキペディアからミケランジェロのピエタの画像を拝借する。


Photo by Rolf Susbrich

この大聖堂の多くは、16世紀から17世紀、ラファエロ、
ミケランジェロなどによるルネサンスからバロックの産物。

またまた日本を引き合いに出すと、この時期は戦国の終わり近く、
安土桃山、織豊政権の頃。

信長の安土城にしても、秀吉の大坂城にしても残っていないが
この少しあとになるが、江戸開府後のものは、残っている。

建築であれば二条城、日光東照宮など。
絵画であれば、狩野探幽などの狩野派、風神雷神図の俵屋宗達、
尾形光琳などの琳派。
あるいは、庭。先日、京都清水寺の成就院を観たが、あれもこの時代。
もっとも、この時代を代表する庭といえば、同じく京都の桂離宮を
筆頭に挙げねばなるまい。

大きさなど規模はむろん違うが、その質においては
日本のこれらの作品群も、なんら引けをとるものではなかろう、と、
私は思う。

同時代だからといって、共通点を探そう、なんというのは
あまりに短絡的にすぎよう。
ただし、ここへきて思うのは、これらは圧倒的な石の文化である、
ということ。

これはこのあと、シシリアに移動してもずっと
考えていたことではある。
なぜ、彼らは石の文化で我々は木の文化なのか。

まあ、そうそう結論の出るテーマではない。
今日は、こんなところで、明日へつづけよう。








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