断腸亭料理日記2011
さて。
引続き、土曜日。
神田須田町の、鳥すきやき、ぼたん。
昨日は、座って、鍋の準備がどんどんと
進んでいるところまで。
ここのお膳は小さい。
座って、内儀さんと、差し向かい。
一人用、もしくは、二人用、で、ある。
東京下町のこの種の食べ物やは、
こういう一人または、二人用、というのが
昔から多い。
駒形のどぜう、などもそうである。
(お膳ではなく、板とこん炉で、あるが。)
浅草などには、今でも一人用のふぐの鍋、
なんというのを出すところもある。
最近は女性一人の外食、というのであろうか、
“お一人様”というのが、キーワードになっているが
東京下町では、お客は主として男、であったが、
昔から“お一人様”であった。
ここがおもしろいのは、
上のメインのお膳の脇に炭が入り、鍋を載せる
赤い銅貼りの四角いこん炉。さらにその隣にお膳を縦にし、
鍋の材料を置いておく。
こんな感じである。
最初はお姐さんが準備をしてくれる。
鍋は、牡丹、と漢字で書かれた鉄製の小さなもの。
鶏の脂身で脂を出し、材料を入れていく。
材料はシンプル。
鶏肉以外には、長ねぎと白滝、焼き豆腐、のみ。
このシンプルさも、東京流であろう。
池波先生も書かれているが、
ごちゃごちゃと入れるのは、鍋とすれば
邪道、で、あろう。
牛のすき焼き同様、甘辛の割り下で煮る。
鶏もいろんな部位が入る。
基本はみな薄く削ぎ切りだったり、小さ目の一口に
切ってある。
鶏肉、というのは、意外に火の通りが遅いのである。
鶏肉は正肉も入れば、モツ、レバーや砂肝も、入る。
池波作品、鬼平に出てくる五鉄の軍鶏鍋から
私が考えた、軍鶏鍋には、レバーはもちろん、
鶏皮なども入れる。
モツを入れるのは、やはり、江戸東京流の鶏(軍鶏)肉の鍋の
伝統であろう。
それから、ここはもう一つ、挽肉のつくね、
も、ある。これは、最初にお姐さんが丸めてくれて、
よく火を通して下さいね、と、言っていく。
削ぎ切りの薄い肉は、煮えてきた。
肉は、むろん吟味をしているのであろう。
旨みが濃い。
生玉子をくぐらせて食べるが、
この生玉子、最初から、一人に二個付いている。
そして、二人前でこの量は、十二分、で、ある。
今は、この値段であるが、以前はやはり、身体を使って
働く男達のもので、もっと割安であったのであろう。
安くて量がある。やっちゃば(青物市場)の男達には
打って付け。
ビールからお酒、冷(ひや=常温)に替える。
散々食べて、ご飯。
お櫃でくる。
下品だが、鍋に残った甘辛の脂、そして、残った玉子を
飯にかけて、掻っ込む。ここは、よくしたもので、この残ったつゆを
すくうために、ご丁寧にレンゲを持ってきてくれる。
もうこれしかなかろう。
幸せ、で、ある。
そして、もう一つ、書いておきたいこと。
私達が座った座敷が、入ってすぐで、かつ、廊下の際。
まあ、場所とすればよくはないのであろうが、
これがなかなか、風情があって、私にはよかった。
蕎麦やなどもそうだが、料理やのお姐さん達には、
それらしい、きまった声、がある。
このお姐さん達の声が、障子一枚なので、
よく聞こえてくる。
「お二階さんに、お酒〜」
(前にも書いていると思うが、お二階さんというのは
不思議な言葉である。お一階さんとも、お三階さんとも
いわず、お二階さんしかない。)
「十三番さんお立ちですよ〜。」
と、これは、帰るお客の履物を出すように
下足番の小父さんに、お姐さんが声を掛ける声。
お立ち、なんという言葉も、今はほとんど
聞かなくなった言葉であろう。
建物は有形文化財だが、こうした言葉や、それらが
醸し出す店の雰囲気は、無形だが歴(れっき)とした東京の文化財である。
東京下町の、気取らないが、きちんとした接客。
是非、この店でもずっと残していってほしい。
うまくて、居心地のよい神田須田町の
鳥すきやき、ぼたん。
よい店、で、ある。
千代田区神田須田町1−15
03-3251-0577
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