断腸亭料理日記2011
談志師匠が亡くなって、色んな人が
発言をしているが、北野武氏の発言が
少し考えさせられた。
昨日の、TBSニュースキャスターでのもの、である。
あの人は、天才なのだが、残念ながら、時代に合っていなかった。
不幸である。もはや落語の時代ではなかった、というような
意味合いのことを言っていたように思う。
ああ、そうなのか。
と、いうのが、私の正直な感想である。
とっくの昔に、落語の時代は終わっていた?!。
北野武氏(以下、人口に膾炙しており、親しみも込めて
“たけし”と書かせていただく。)
の立ち位置では、そう言ってしかるべきか。
表現者、たけしの了見はおそらく、落語の了見といって、
間違いではなかろう。
だからこそ、談志家元もたけしを気にかけ、
また、期待もしていた。
たけしは、映画を撮る。
彼の今の表現の舞台は映画。
そこから見れば、やはり、落語の時代ではないだろう、
ということか。
(じゃあ、たけしの映画の時代、かといえば、
それもそうでもなかろう。フランスなどでは
評価はされているが、こと日本においては、
興行的には失敗ではなかろうが、成功でしているとも
いえなかろう。むろん個人的には、好きな監督ではあるが。)
たけしの、落語の時代ではない、とっくに終わっている、
というのは、残念ながら、当たっている。
私の子供の時分、昭和40年代が最後、であろう。
これは、正直に認めなくてはいけない。
この頃までは、東京の庶民の生活の中には、まだ、江戸の残照が
残っていた。ほとんどの人々が、落語を知っており、
例えば、「ありゃあ、寝床だね」といえば、
たいして上手くもない素人芸を、むりやり友人に聞かせること、
というような、落語が一般の慣用句にもなっていた。
この時代が終わった時点で、もはや、庶民の隅々まで浸透した
演芸であった落語には戻れなくなっている、と、
考えた方がよい、のか。
その中で、談志師は、一人奮闘をしていたということか?。
そうなのかもしれない。
しかし、そいう人がいたからこそ、
私なんぞも、落語に入り込むことができた。
でなければ、私も寄席になど行く機会は
なかったかもしれず、また、落語は、もっともっと早くに、
もっともっと無名なものになっていった
といってよいのだろう。
そういう意味では、これから先、落語は、
一部のマニアだけのもの、あるいは、博物館か
資料館の展示物のようなものになるだけ、なのか。
談志家元は、「伝統を現代に!」というのを
キャッチフレーズにしてもいた。
歌舞伎などは、ちょっと、違うポジションを今は
獲得もしているが、例えば文楽(人形浄瑠璃)、
能・狂言、などは、明らかに、庶民の芸能、演芸ではなく、
まあ博物館系、であろう。
家元は、落語をそうさせたくない、
伝統のあるものだが、現代の庶民感覚の中に
生き続けさせたい、そうでなければ、死んだも同然、
と、考えていた。
明治から100年が経ち、また、戦後の経済成長が
軌道に乗り、東京庶民の生活から完全に“江戸”が
なくなった時点で、落語も違う道を歩き始めていた。
文楽師、志ん生師、そして圓生師、は亡くなったが、
まだ小さん師、志ん朝師もおり、まだ東京落語界も
一応のところ、形は留めていた。
そして、2001年に志ん朝師、2002年に小さん師が亡くなった。
やはり、談志家元、孤軍奮闘という色彩が強かろう。
家元が亡くなり、今、どうであろうか。
本格古典でお客を呼べるのは、もう、小三治師。
小朝師もいるが、やはり違うであろう。
やっぱり、談志家元がいたからこそ、平成の世になり、
20年、落語が延命してきた、といっても
過言ではないかもしれない。
落語界ではあれだけ嫌われてきたのだが、
口ではむろん、芸でも談志家元と張り合うことが
出来たのは、志ん朝師くらいであったろう。
なにか、これから先、暗澹たる気持ちになる。
そうそう。
しかし、で、ある。
じゃあ、若い世代、は、どうであろうか。
小朝師の下、お客を呼べるのは、意外に少なくない。
やはり、談志一門。
志の輔師、談春師、志らく師、に談笑師。
喬太郎師、花緑師、、、。
だが、48歳の私からすれば、同世代前後から下。
(自分も含めてなのかもしれぬが)
談志師のいった、江戸の風、のようなもの、は完全に
なくなった、と、いってよいのだろう。
(江戸の残照のようなものがあった、昭和30年代、
40年代までに、それを身に付けた人、までなのであろう。)
おそらく、この世代がいるので、東京の落語界は
まだまだ、続いていくのだろう。
だが、やっぱり、談志師という重石がなくなり、
有形無形にその姿は、どんどんと、加速度的に、
変わっていくのであろう。
談志家元の死を受け入れる、ということは、
そういうことを認めることなのであろう。
だがやはり、さらに我々よりも下の世代にも
我々が伝えなければいけないこと、というのも、確かに
あるようには、思う。
そのあたり、もう少し、続けさせていただく。
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