断腸亭料理日記2011
5月2日(月)夜
さて。
月曜日。
世の中は、休みではないが、私は、休み。
午前中は『講座』の資料作り。
午後から、その下見。
今回は、昨年は行っていない場所、
八丁堀。
『池波正太郎と下町歩き』というタイトルなので、
場所には限りがある。
だが、それでも歩いていない場所は若干はあり、
今回は、新しくしてみた。
範囲としては、八丁堀と新川、鉄砲洲。
八丁堀は、ご存知八丁堀の旦那。
江戸町奉行所の与力、同心の組屋敷があったところ。
まさに今、資料を作っているところなので、
詳細は書かないが、自分としては発見があった。
八丁堀、というのは、築地・明石町と、茅場町の間。
築地も、茅場町も、なん度も歩いているところで、
私にはなじみは深い。皆さんもそうかもしれない。
しかし、その間の八丁堀付近には、あまり仕事などで
くるところではない。
(そう、新川にキリンビールの本社が、
なん年か前からあった。)
なん度か通りかかったことがあるぐらい。
で、会食場所は、銀座の洋食、みかわや。
八丁堀の隣は、新富町。
と、くれば、銀座は目と鼻の先。
歩ける範囲。
(であるのだが、今回は、ご高齢の方もあり、
3駅、地下鉄に乗ることにした。)
歩く予定の範囲を実地に見て歩く。
一般には、この界隈、やはり、オフィス街である。
今日は、多少、ネクタイを締めたサラリーマンもいるが、
閑散として、休みになっているような、ビルもある。
一渡り、まわって、再び八丁堀の駅(交差点)に
戻ってくる。
今日は、この後、実際に内儀(かみ)さんと、
みかわや、で、待ち合わせ。
まだ多少時間があるので、私は予定通り、
銀座みかわやまで、歩こうか。
池波先生もそうであったが、東京で生まれ育った
“東京人”は東京の街を歩くのが、皆、好き、なのでは
なかろうか。
知っているところはもちろん。
知らないところなら、なおさら。
時間があれば、歩きたくなる。
普段は、地下鉄に乗って、いわばショートカットを
しているが、昔、江戸の頃は皆、自分の足で歩いて
いたのであろうし、明治、大正、昭和初期でも、
市電、都電に乗って移動をしており、街の香りを
肌で感じてきたはずである。
東京の街は、どこも同じような、ビルが建ち、
どこも同じような匂いになってはきているが、
それでも、それぞれの町々には、それぞれの歴史があり、
多少は、その、よすが、が、残っているし、
それを大切にしていきたい、と思うのである。
下町を歩く意味は、このあたりにあるのである。
ともあれ。
八丁堀交差点から、今はない旧八丁堀沿い
の路地を京橋方向に歩く。
八丁堀は、京橋方向に歩くと、堀の交差点のような
ところに出ていた。
場所は今の、首都高、京橋ジャンクション。
鍛冶橋通り、室町の交差点の東。
ここには、日本橋方向からの楓川。
八丁堀を真っ直ぐ行くと、そのまま京橋川。
左に曲がると、一度、クランクして、銀座(木挽町)
を流れる、三十間掘。
ここの堀の交差点には、三つの橋がごく接近して
架けられており、俗に三ツ橋、と呼ばれていた。
鍛冶橋通りの楓川が弾正橋。
京橋川には、白魚橋。
クランクしている三十間掘には真福寺橋が
それぞれ架かっていた。
より大きな地図で 断腸亭料理日記・三ツ橋 を表示
今は、首都高が上下を走っており、薄暗く、
なんだか、ほこりっぽい。
ビルも建て込んでおり、あまりパッとした
ところではない。
八丁堀跡から、一度鍛冶橋通りに出て、
弾正橋跡を渡る。
これは、下(楓川跡)が首都高(上も首都高だが)なので、
橋は残っている。
渡ってすぐに左に入る。
左側に消防署があり、また、上に首都高。
この下が、おそらく、白魚橋跡。
首都高をくぐって右。
この左側が白魚屋敷で、右は白魚河岸。
前に、やはり『講座』で佃のことを書いたが
この時、白魚といえば、佃の漁師の独占であった、
とも書いた。
一般的には、こういってよいと思うのだが、
正確には、人数は少ないが、
佃以外にも白魚を獲ってもよい漁師達がいたのである。
彼らが住んでいたのがここ、白魚屋敷。
元々は、隅田川の漁師で、やはり、江戸初期、
家康に白魚を献上し、この特権を得たという。
長くなった。
みかわやに、たどり着かなかったが、
明日に続く。
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