断腸亭料理日記2011

九段・うなぎ・阿づ満や

5月16日(月)昼

午後、秋葉原、という予定で、
途中で昼飯を食おうと、考えた。

毎度のようで、芸がないのだが、
うなぎ。

うなぎ、というのは、私にとって、
なんであろうか。

こうして、忙しかったり、ストレスやら、
フラストレーションがたまっていたりすると、
「え〜い、うなぎでも食おうか」と、いう気分に
なるのである。

うなぎ蒲焼、うな丼、うな重というのは、
むろん、実際に食べてうまい、のではあるが、
なにか、その実質以上の、魔力が私にはある。

東京に生まれ育った私などは、子供の頃から
うなぎというのは、そういう位置付けの食べ物であった。
これは、父母、祖父母、含めて、私の育った家の者が
皆、共通に、そう思っていたはずである。

まあ、端的にいえば『ご馳走』という位置付け。

私は、高校時代などは、弁当を持っていっていたのだが、
母親は、おかずのアイデアに困ると、うなぎの蒲焼を
入れていた。
これは、家に、金があったということではない。
むろん、一串数百円ではあろうが、冷凍ものなのか
わからぬが、たいしてよいものではなかったはずではある。

今から考えると、母親は、うなぎなら文句はないだろ!、
ということだったのであろう。

他の、東京で生まれ育った皆様の家では、どうであろうか。
やはりそうであろうか。

そんな風に、育ったので、日本人皆がうなぎに対して、
そういう風に考えているのかと思っていたのだが、
大人になって、そうではないことがわかってきた。

なにかといえば、うちの内儀(かみ)さんである。
うちの内儀さんは、北海道の生まれ育ちなのだが、
北海道の人々は、うなぎというものは、あまり食べない、
というのを、一緒になって初めて知ったのである。
むろん内儀さんの両親やら家族も同様。
また、うなぎやというのも、北海道にはあまりないようである。

北海道というのは、寒いからうなぎが獲れないのか、
あるいは、北海道の人々の多くは、東北地方から
明治になり、移住した人々で、そうすると、東北にも
うなぎを食べる習慣がなかったのか、、。

あるいは、関西地方はどうであろうか。

私も、住んだことがある名古屋は、ひつまぶし、
という押しも押されぬ、うなぎ蒲焼の名物があり、
名古屋人も、東京人同様、うなぎには、ご馳走、の、
ポジションがあると思われる。

大阪は?
大阪人は、うなぎ蒲焼を食べないわけではないようだが、
我々東京人ほどは、特別な思いは、ないのかもしれない。

後は、九州であろうか。
柳川などに名物があるので、ある程度、
同じようなことがいえるのかもしれぬ。

ともあれ、我々、東京人は全国でも無類な、
うなぎ好き、であることは、どうも間違いないようではある。

ともあれ。

落ち込んでいても、おもしろくないことがあっても、
うなぎを食えば、元気になる。

単純なものだが、私はそうである。

市ヶ谷で、昼。
九段一口坂上の、阿づ満や、で、ある。

市ヶ谷の駅からは、少しある。

九段方向へ靖国通りを上がり、一口坂の坂上の
交差点の角、九段に向かって右側である。

一階は禁煙だというので、二階の座敷に上がる。
1時頃。もうお昼のお客は引け始めている。

応対したのは、白髪の上品そうな女将さん。
私のことを、若旦那、なぞと呼んでいる。

なんとなく、面映ゆい。

だが、いかにもこの店らしい、というところかもしれない。

二階に上がると、前にも入った座敷。

歌舞伎の絵の描かれた、屏風がある。


前回、由来を書かせてもらったが、
「松竹梅湯島掛額」という芝居。

ここのご主人が元歌舞伎役者で、
おそらく、その縁の芝居。

ご主人が元役者さんということで、女将さんが、
「若旦那」という言葉を使う。
つながっているんだか、いないんだか。

だが、普通のうなぎやの、女将さんは
お客にこんな言葉は、使わなかろうことは、
間違いなかろう。

と、いうことで、うな重。


この屏風を前にして、食べると、また、一味違うような。

腹も減っており、ばくばくと掻っ込み、
お茶も飲みほし、時間もあまりないので、立つ。

さっさと、と、いう雰囲気が出ていたのか、
くだんの女将さん、あら、若旦那、もうお帰り?
もっとごゆっくりしていかればいいのに、と。

どうもサラリーマンなんぞ、時間に追われて、
折角、元気を出そうと、きたのだから、
ゆるゆると、食べて、休んでいければよいのだが。

だが、もう、私にはこれで十分。

随分と、元気は出た。

ご馳走様でした。

女将さん、また、ゆっくりきます。

またどうぞ〜、お近いうちに〜。



TEL:03-3261-4178
住所:千代田区九段南4-5-12






断腸亭料理日記トップ | 2004リスト1 | 2004リスト2 | 2004リスト3 | 2004リスト4 |2004 リスト5 |

2004 リスト6 |2004 リスト7 | 2004 リスト8 | 2004 リスト9 |2004 リスト10 |

2004 リスト11 | 2004 リスト12 |2005 リスト13 |2005 リスト14 | 2005 リスト15

2005 リスト16 | 2005 リスト17 |2005 リスト18 | 2005 リスト19 | 2005 リスト20 |

2005 リスト21 | 2006 1月 | 2006 2月| 2006 3月 | 2006 4月| 2006 5月| 2006 6月

2006 7月 | 2006 8月 | 2006 9月 | 2006 10月 | 2006 11月 | 2006 12月

2007 1月 | 2007 2月 | 2007 3月 | 2007 4月 | 2007 5月 | 2007 6月 | 2007 7月

2007 8月 | 2007 9月 | 2007 10月 | 2007 11月 | 2007 12月 | 2008 1月 | 2008 2月

2008 3月 | 2008 4月 | 2008 5月 | 2008 6月 | 2008 7月 | 2008 8月 | 2008 9月

2008 10月 | 2008 11月 | 2008 12月 | 2009 1月 | 2009 2月 | 2009 3月 | 2009 4月

2009 5月 | 2009 6月 | 2009 7月 | 2009 8月 | 2009 9月 | 2009 10月 | 2009 11月 |

2009 12月 | 2010 1月 | 2010 2月 | 2010 3月 | 2010 4月 | 2010 5月 | 2010 6月 |

2010 7月 | 2010 8月 | 2010 9月 | 2010 10月 | 2010 11月 | 2010 12月 |2011 1月 |

2011 2月 | 2011 3月 | 2011 4月 | 2011 5月




BACK | NEXT |

(C)DANCHOUTEI 2011