断腸亭料理日記2011
2月2日(水)夜
昨日から泊り、で、箱根の研修所でカンヅメの会議。
小田原で新幹線に乗って、18時半前、
東京駅まで、戻ってきた。
腹が減った、、、。
小田原の町で、鮨や、の看板に書かれていた
“地魚”が目に付いて、腹が反応していた。
鮨、、、。
東京駅、、、だが、どこがよかろう。
お!
そうだ、日本橋の、吉野鮨。
東京駅から日本橋、というのは、
別のところのようだが、実は、隣。
いや、むしろ、同じところ、と、いってもよいかもしれぬ。
八重洲口から出ると、前は外濠通り。
外濠通りという名前がついていても、
濠そのものの場所ではないところもあるが、
ここは完全に外濠を埋めた通りである。
つまり、外濠通りを渡れば、向こう側は日本橋、
と、いってよいところ。
昔の町名では、檜物町、と、いうが、ここは
今でも、ほんの少し、名残があるが、
日本橋花柳界の一つ。
さて、ここで、毎度の余談で、恐縮である。
今、この八重洲口の外濠通りを渡ったところの町名は、
八重洲1丁目でこれは、中央通りとの間の一方通行の通り
(八重洲仲通り)まで。その向こうは、日本橋三丁目。
実は、八重洲という名前は、ここには、江戸の頃も
明治以降もなく、戦後、昭和29年にできているもの
なのである。八重洲は、古い地名であったはず。
ヘンではないか?。
実は、八重洲というのは、外濠の内側、
千代田区(旧麹町区)、丸の内側の名前であったのである。
八重洲の由来は、江戸初期、家康の外交顧問だった
ヤン・ヨーステンの名前に由来していることは
皆さんご存知であろう。
ヤン・ヨーステンの屋敷も、外濠の内側にあった。
その後、八重洲の名前は八重洲河岸など、になるが、
八重洲河岸というのは、外濠ではなく、内濠(馬場先濠)、
今の、三菱商事ビルの向こう側の濠端をいっていた。
その後、明治になり、今の三菱商事ビルあたりから、
中央郵便局、外濠まで、おおかた、今の丸の内二丁目が
八重洲一丁目、二丁目になったのである。
つまり、八重洲とは、明治の頃も丸の内の「中」の、
呼び名であったのである。
では、なぜ、中央区側の呼び名になったのか。
東京駅ができる前、明治の頃、今の八重洲口の
正面あたりの外濠に、八重洲橋という橋が架けられた。
そこに東京駅ができ、八重洲橋側の出口が、八重洲口になった。
そして戦後、今度は東京駅の八重洲口から逆に、
中央区側が八重洲になった。そいうことのようである。
そうとう、どうでもいい話ではあった。
閑話休題。
その八重洲一丁目を抜けて、中央通りまで出てくる。
そのまま突っ切って、DICビルの北側脇に入ると、もう、
左の角は、吉野鮨、で、ある。
東京駅から10分もかかっていない。
開けて入ると、カウンターもテーブルも、ほぼ満席。
だが、一人ぐらいは座れるもの。
今日は、手前の角。
若主人(?)の前。
寒いので、お酒お燗をもらって、
つまみ、を少し。
なにがよかろう。
やはり、好物の光物。
さより、が、そろそろ季節か。
あとは、鯵。
これをつまんで、にぎり。
お酒も1合でやめ、お茶にする。
いか、と、白身。
白身は平目。
それから、鰤。
今年は、富山湾の鰤が豊漁だといっていたが、
たっぷりと脂がのって、格別。
それから、光物。
小肌、鯖。
鯖。
鯖も今シーズン、よいのか。
ここの鯖は、〆具合は、浅目、だが、
脂があり、そうとうに、うまい。
小肌もうまい。
ヅケと海老。
ヅケはここでは、初めてかもしれぬ。
即席ではなく、あらかじめ仕込んであるもの。
うまい。
海老はいつも頼む。
頭も一緒に握ってあり、見た目にも
きれい。
味もよい。
蛤、穴子。
蛤は大ぶり。
穴子は柔らか。
オーソドックスにうまい。
最後は、鉄火巻。
赤身か、中トロか、どちらがいいですか?
と、聞かれたので、中トロに。
うまかった。
お勘定は、
今日は、少し高めの8000円。
中トロの鉄火が効いたのか、、
さよりのつまみ、か。
ともあれ。
うまかった、うまかった。
満足、満足。
東京都中央区日本橋3-8-11
03-3274-3001
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