断腸亭料理日記2011

小島町・北京料理・京香房

4月22日(金)夜

つくばから、9時半すぎ、帰宅。

北千住、あるいは、浅草でTXを途中下車をして、
どこかに寄ろうか、とも、思ったのだが、
結局、そこまでの元気はなく、新御徒町まで
戻ってきた。

これには、一つ、アイデアがあったから、
ということも、ある。

新御徒町駅の東の出口そばにある、中国料理、
京香房、というところ。

ここでは、内儀(かみ)さんがなん回か
持ち帰りで料理を買って帰り、なかなかうまい、
と、思っていた。また、ここは、ほとんどのメニューが
持ち帰れる、ともいう。

寄って、なにか見繕って、家で食べようか、
と、考えたのである。

この界隈、どうしたわけか、中国人がやっている
中国料理店が、随分とある。

ここは、2〜3年前であったろうか、
もともとここにあった木造の家をそのまま使って、
京香房という店を開いたのであった。

この手の、中国料理店は、昼は外で、
500円以下の弁当を売っていたり、
夜は、食べ放題、飲み放題、といったことを
安くやっており、なかなか商売熱心。

通りかかって、外から見ても、
にぎわってもいるようであった。

TXから上がってきて、路地をはさんだ、この店に
入ってみる。

まあ、建物も小さいのだが、店の中も大きくはない。
10時近い時刻、皆、おそらくは、近所の会社の
サラリーマンで、宴会らしいグループがあったり、
2〜3人で呑んでいるグループ、あるいは、
カウンターのようなところもあり、一人のお客もいる。
にぎわっているといってよかろう。

メニューを見せてもらって、焼売、鶏に辛い
たれをかけたもの、それからレタスの炒飯を頼む。

10分ほど待ったろうか、
パックに入れてもらい、勘定をして、帰る。

ビールを開けて、パックを開けてみる。


これが鶏。

店のメニュー名は忘れてしまった。
油淋鶏、というメニューがあるが、これは
揚げているのではなく、蒸し鶏かもしれぬ。
たれも、辛いのではあるが、甘味もある。

炒飯。


なかなか、ボリュームがある。

焼売。


全体を通して、香辛料が多少強め、
比較的濃いめの味付け、で、あろうか。
北京料理、という看板だが、そちら方面の
味付け、ということなのか。

べら棒に、と、いうことはないが、
十分に、うまい、といってよかろう。
また、値段もリーズナブル。

それにしても、思うのは、このような店
ちょっと、不思議、ではある。

もともと、東京の街の、中国料理店
というのは、池波先生御用達の、有楽町の慶楽だったり、
神保町の揚子江飯店だったり、古くからある
中国人のやっているところがあった。
多くは、長い間に、我々の口に合うような
味付けになり、また、我々もそれに馴染んで、
やはり、ある意味、東京の味といってよいものに、
なってきたように、思われる。

また、そうした中国人経営の中国料理店と同様に、
日本人のやっている、町の中国料理店というのもあり、
それらは、もう少し、日本人向けの味で、
どこの街角にもあった。(今でもあるが。)

それに対して、この店のようなところは、
この10年ほどであろうか、新規に日本へきて、
店を新たに開いた、新手といってよかろう。
都心部、どこにでも、ということはないのかもしれぬが、
このあたり、上野と浅草の間にあたる、元浅草界隈には、
ざっと数えただけでも、3〜4軒はある。

先にも書いたが、彼らは、総じて、商売熱心。
昼はランチ、弁当も作り、営業時間も長い。

従来からある中国料理店は決して、このような
ことはしていない。いや、できないのであろう。
都心に店を持ち、材料費など、東京の物価の中で、
飲食店を経営すれば、ある程度決まった価格帯に
なるはずである。

その中で、安めの値段を設定し、やっているのは、
おそらく家族中心で人件費を安く、長く営業し、
儲けを出す、ということなのか。

これは、新たに日本へきた、彼らのハングリーさ、
ということであろう。
(この震災と原発騒ぎで中国人も含めて、多くの外国人が
東京からいなくなっているというが、こうして
彼らは営業を続けてもいる。)

お客とすれば、安くてうまい店は、歓迎である。
もっと増えてもらってもよいくらいかもしれぬ。

だがまあ、ちょっと、おもしろい動き、ではある。






台東区小島2-18-12
03-3866-7748






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