断腸亭料理日記2011
4月16日(土)
さて。
土曜日。
2クール目に入った『講座』。
またか。
と、お思いの読者の方々もおられるやに思うが、
1回分だけお許しを。
今回は、初回なので、昨年4月と同様、
池波先生が育った、浅草永住町と、区立の記念文庫、
そして、菩提寺、西光寺、そして、会食は
駒形の鰻や、前川、というコース。
今回、新たに調べたことを、
今日は、書いておく。
前川は、字の如く、駒形の隅田川沿いにある。
そこで、ちょいと、隅田川のことを調べてみた。
隅田川といっても、江戸の頃の隅田川は
方々に書かれており、皆様もご存知のこと。
そこで、今回は、それ以前、
家康が、江戸の街を建設する、戦国以前のことから。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
隅田川は、むろん、江戸以前、太古からあり、
最初に記録に出てくるのは835年(承和2年)、平安時代の頃。
当時は利根川、荒川、入間川の下流、河口にあたり、
この頃の海岸線は鳥越付近であったとみられ、
川幅は広大であった。
当時の表記は、文献上は、住田河、なのだが、
ともあれ、この頃には既に隅田川と呼ばれていた、と、
いうこと、で、ある。
ただし。
明確な記録は残っていないが、
おそらく古墳時代から人が住み、
奈良時代からこの隅田川沿いの浅草付近は、
交通の要衝であったと考えられている。
当時川幅が広かった隅田川は、橋は架けられず、渡し船による渡河。
そして、浅草付近に渡し場があり、宿場のような機能を持っていた、
と、いう。
平安期、伊勢物語に登場する、在原業平の東下りは
あまりにも有名であろう。
名にしおはゝ いさこととはん宮古鳥 わかおもふ人はありやなしやと
この伊勢物語の、在原業平は、浅草の北部で、隅田川を
渡っていたと考えられている。
ちなみに、この都鳥は、東京都の鳥にもなっている
ユリカモメのこととで、本当の都鳥は別にいるらしい。
また、スカイツリーのある墨田区の業平という町名は、
むろん、この在原業平に因んでいる。
(業平というのは、町名でもあるし、
橋の名前でもあり、また、業平橋は、
東武の駅名にも、なっている。
なんでも、この業平橋という駅名を、スカイツリー前、
にしようということを、東武はいっているらしい。
こんな由緒のある名前を変えてしまうとは、
なにごとであるか!。
『業平橋(スカイツリー前)』と、カッコ書きで、
よいではないか。まったく、なにを考えているのやら。
そう思われませんか、ご近所の皆様方。)
ともあれ。
在原業平の、伊勢物語関係では、他にもある。
吾妻橋の一つ川上の、言問橋、そして、言問通り、
言問団子の『言問』も、この伊勢物語の一節からきている。
業平にしても、言問い、にしても、当時、鳥が鳴く武蔵にあって、
都の文芸にまで書かれたもの。
あだやおろそかにしては、いけないのでは、なかろうか。
さて。
江戸に入り、隅田川は、浅草川、宮戸川、大川など
様々な呼び名で呼ばれていたのはご存知の通りだが、
先に述べたように、スミダ、の、名前は古い。
その由来は、往古、文字通り、水が澄んでいた
ところからではないかといわれている。
江戸期の隅田川は御蔵前(現蔵前)の幕府米蔵をはじめ、
船による物流の大動脈であった。
隅田川から、新河岸川を経て、川越からの舟。
これは、鬼平にも出てくるが、川越船頭、などと
いわれていた。
あるいは、中川、江戸川を経て利根川までの航路があり、
野田、銚子方面から味噌、しょうゆ等が運ばれるなど、
大消費地江戸にはなくてはなら物流の動脈であった。
墨田区に曳舟という京成の駅があるが、
ここは、曳舟川という水路で、広重の絵にもなっているが、
文字通り舟を曳(ひ)いて上流に上げていたのである。
もう一つ、隅田川といえば、舟遊び、で、ある。
これは、文献に出てくるもので、
古いものは、大田道灌公の頃。
既に、この頃、風光明媚な川で、道灌公も
来客があれば、隅田川に舟を浮かべて、舟遊びを
楽しんでいた、と、いう。
江戸に入っては、家光の時代から、
向島に桜が植えられていた、ともいい、
歴代の将軍もたびたび舟遊びに出かけている。
向島の花見、両国の川開き(花火)、夏の納涼、
雪見、釣りなど、貴賤問はず親しまれた。
明治に入ってはどうであったか。
江戸の頃、人が乗るのは、皆、舟宿から出る舟、で、あったが、
『一銭蒸気』といって、今の、水上バスのような、
乗合の、定期航路が出るようになっている。
これは、八丁堀の、中の橋から千住大橋までの
小型蒸気船航路で、この間を5区間に分け、
1区間が1銭であったという。
そんなこんなの、隅田川。
そして、前川の4Fの座敷で、川を見ながらの、うな重。
お新香で出る、辛子茄子もまた、うまい。
前川
台東区駒形2-1-29
03-3841-6314
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