断腸亭料理日記2010
さて。
今日もNHKの『講座』「池波正太郎と下町歩き」の9月。
三ノ輪の浄閑寺から吉原、山谷堀跡を歩いて、今戸、隅田川まで。
そして、待乳山の聖天様をお参り。
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江戸の地図
聖天様の参道を降りてきて、二股に分かれた石段を
登ってきたときとは反対の右側に降りる。
石段を降りた右側に、今日のもう一つの目玉がある。
なにがあるかというと、台東区が建てた、
池波正太郎生誕の地、の、碑。
碑の前には、近所の子供達の自転車が
並べて止めてある。
この碑は、生前の写真も刻まれ、最近建てられたもの。
池波先生は、1923年(大正12年)1月25日、この聖天様の近所、
浅草聖天町61番地に生まれている。
先生はむろん記憶にはないだろうが、この年の9月1日に
東京は関東大震災に見舞われている。
父は日本橋小網町の綿糸問屋の通い番頭、
母は浅草馬道の錺職(かざりしょく)の長女。
ご自分の生まれた日のことで、
池波先生はおもしろいことを書かれている。
この日、父、富次郎は仕事を休んで二階で酒を呑んで寝ていた。
お産婆さんから「男の子ですよ。早くお顔を見てあげてくださぁ〜い。」と
声をかけられたが「今日は寒いから、明日見ます。」と応えた、と。
(『新 私の歳月』)
お父さんは大酒呑みであった、とも書かれているが、
まるで落語に出てきそうな話である。
聖天町というのはむろん、待乳山聖天に由来するが、
江戸の頃からの町名である。
聖天町61番地というのは、今は吉野通りと呼んでいる、
旧日光奥州街道の東側で言問通りとの交差点に近い
南側のようである。
浅草聖天町で生まれ、育たれたのは、浅草永住町。
江戸っ子であり、浅草っ子。
先生にとって浅草というのは、生まれ育った
文字通りの、故郷、である。
さて。
生誕の碑から離れ、次は、江戸末期の芝居町、猿若町。
大通り(吉野通り、元の日光奥州街道)へ出て、
渡った向う側、路地を一本入った一画。
幕末も遠くない1842年(天保13年)、老中水野忠邦の天保の改革の一環で
当時、日本橋葺屋町にあった市村座、同堺町にあった中村座、
木挽町にあった河原崎座(森田座の控櫓(ひかえやぐら)の、
江戸三座すべてが当地に移転させられた。
町名は中村座の元の名前から取っている。
以後、明治になり各小屋が(森田座が新富町、中村座が浅草新鳥越町、
市村座が下谷二丁町へ)移転し、芝居町としての猿若町は、
大正期にはなくなった。
1842年から、最後の市村座の移転が、1892年(明治25 年)なので、
猿若町が芝居町であったのは50年。
浅草というところは、今ではあまりピンとこないかもしれないが、
明治期までは、芝居、歌舞伎の町でもあった。
小屋があったので、界隈には、むろん役者も多数住んでいた。
千束商店街の横丁には、初代猿之助が住んでいたので
猿之助横丁なんという名前も残っている。
浅草寺裏には團十郎『暫』の立派な銅像もあるし、
東京メトロ田原町駅構内には、役者の家紋が並べられている。
また、今も、実際の公演も浅草で行なわれることも、
少なくない。浅草公会堂では定打ちではないが、正月、8月などに
行なわれているし、平成中村座もなん度も浅草に小屋を建てている。
まあ、挙げだしたらキリがない。
幕末の猿楽町、当時活躍したのは、八世市川團十郎、
女形では坂東しうか、上方下りの四世市川小団次ら。
團十郎は「与話情浮名横櫛」(よわなさけうきなのよこぐし。
源氏店、お富さんで有名)の与三郎を演じ、若さと美貌で人気絶頂となった。
作者はなんといっても河竹黙阿弥の活躍期。
「三人吉三廓初買」(さんにんきっさくるわのはつかい。
月も朧に白魚の・・こいつぁ春から縁起がいいわえ)、
「青砥縞花紅彩画」(あおとぞうしはなのにしきえ。白波五人男、
知らざあ言って聞かせやしょう)など、小団次との連携で生まれた
泥棒を扱ったいわゆる『白波物』を大当たりさせ、
現代まで残っている歌舞伎芝居の一時代を作った。
今は、この一画には、三座のあった場所にそれぞれ案内板が
建てられていたり、碑の類もいくつか経っているが、
名残のようなものは、ほとんど、ない。
そんななかで、唯一の名残は、小道具を造っている会社があること。
藤浪小道具(本社)
1972年(明治5年)創業。当初は歌舞伎の小道具に携わっていたが、
TVの始りとともにNHK、民放含めTVの小道具も手掛け、
現在は歌舞伎をはじめとした舞台、各局の小道具を製作している。
といった、猿若町。
ここからは、言問通りを西に歩き、馬道の交差点を
渡り、馬道通りを南下。
右に入り、二天門。
ふう、三ノ輪から、長い道のりであった。
やっと浅草寺に着いた。
といったところで、中清までは、もう一息。
明日もつづく。
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